灰いろの水のはじまり(その4)

北村周一

つづいて、パレット灰いろ作戦第二弾です。
いよいよおとなの登場です。場所は、武蔵野市立吉祥寺美術館の音楽室。
フラッグ《フェンスぎりぎり》一歩手前展の、関連イベントのひとつとして企画されました。
題して、「えのぐのゆくえ、パレットのおしえ」。
去年の四月某日、総勢12名の参加を得て、ワークショップははじまりました。

当然のことですが、抽象的な絵画を描くことはほぼはじめて、という方々が多く参加されました。
何を、どこから話せばいいのか、思い悩みましたけれども、まずは導入部として、絵具の物質性や、パレットの中間領域としての役割について、自分なりの考えを話すことにしました。
それから、色の三原色は、光の場合と、色材の場合とでは異なることも説明し、とりわけ光の場合には、混合すると限りなく白色に近づくこと、色材の場合には、混合すると黒(ごく暗い茶色)に近づくことも話しました。
それゆえ、今回用いることになっている、水溶性のアクリル塗料の場合、発色の効果が強すぎる絵具は、極力外すように伝えました。
たとえば、黒、茶色、藍色などです。
ところで日本語というのは面白いもので、青、赤、白、黒の四つの色に限っては、形容詞として活用できますし、また色という語を付けなくても、単独で色を表すように工夫されています。
水色、桃色、黄色などなどとは、別格の扱いを受けているといえます。
さらに、青、赤、白、黒の四つの色は、四季のそれぞれにも対応していて、青春、朱夏、白秋、玄冬というお馴染みの言葉となって、息衝いてもいます。
また、色の三要素についても、少しく触れました。
明度、彩度、色相、すなわち、色の明るさ、鮮やかさ、いろあい、についてです。

手短に話したつもりですが、正味2時間ほどの枠組みの中で、途中若干の休憩をはさみながら、参加者全員が、それぞれの絵を完成できるところまでもって行けるかどうか、不安なままに作業ははじまりました。
キャンバスのサイズは、おとな向けにF3号(22×27㎝)と、僅かながら大き目にしました。
最初に、好みの絵具のチューブを選ぶところは、子どもたちのときと同じです。
キャンバスをパレットに見立てて、チューブから絵具を絞り出し、各人ひとり一本しかない絵筆を用いて、絵を描きはじめました。
ミッションは、絵具を混ぜ合わせながら、ひたすら灰いろに近づけること。

はじめのうちは、どのように描いたらよいのか、戸惑っていたみなさんでしたが、手慣れてくると、
参加者それぞれが、さまざまな技法や思いつきを駆使しながら、先へ先へと筆を進めていました。
四つの側面も含めて、塗り残しのないように、キャンバスの白いところをすべて絵具で満たすこと。
みなさん最後まで、一心不乱に絵を描いていましたが、やはり周囲の目が気になるのでしょうか、
互いに見比べながら、作業を進めるといった具合でした。
絵の描き方というよりも、絵の描き手の性格かもしれませんが、比較的早く描き終えてしまった人と、
なかなか描き終わらない人と、フィニッシュがバラバラになってしまいましたが、合評の時間を少しだけ残して、12名すべての絵が仕上がりました。
大勢の人に囲まれながら、絵を描くことはとてもしんどいことです。
みなさん描き終わってホッとしていました。

でもこれで終わりというわけではありません。
そうです、絵のタイトルを決めなければなりません。
描き終わって、それぞれが思いを込めながら、絵の題を発表しました。
作者が付けた絵のタイトルとその絵を見比べながら、うん、なるほどと頷いたり、笑ったりと、
反応はいろいろでしたが、ひとりだけ無題がありました。
もしかしたら、その後タイトルが決まったかもしれませんが。

それはそうとして、灰いろの方は一体どうなったのでしょうか。
限りなく灰いろに近づいたとはいえ、思い描いたような灰いろにはならなかったようで、いわば灰いろの一歩手前に留まったような感じの色合いに終始したように見受けられました。

しかしながら、テーブルの上に目を移すと、各人一個ずつあてがわれていた筆洗用の透明のプラスチックカップの中の水が、なんと灰いろになっているではありませんか。

微妙にそれぞれ色合いが異なっているといっても、総じて灰いろに間違いありません。
参加者12人、十二色の灰いろが、目の前のテーブルの上に並んでいたのでした。(つづく)