春といえばポカポカ陽気に桜…桜の季節といえば入学式に入社式…というのは古い感覚かもしれない。こどもの頃、4月上旬はたしかに満開の桜の季節だったように記憶しているのだが、最近では桜祭りを4月ではなく3月中から始める自治体もある。時々夏日が混じるとはいえ、まだ3月。桜は咲きはじめていても、日によっては冬の装備でも寒い。個人的には冷え切った地面に敷いたビニールシートの上で、キンキンに冷えたビールなんて飲む人の気が知れない。それにしてもなぜ桜の時期は、ずれてしまったのだろう。毎年開花はまだかまだか、とみんなに待望されるあまり、急いで花を咲かせようとがんばりすぎているのだろうか。そうなると人気者の桜も気の毒なものである。
さて令和7年3月末日の今日も、冷たい風ふきすさぶ真冬の寒さだ。花は見たいけれど人混みがいやなので、穴場だと目当てにしていた枝垂れ桜を見に行ったら、花びらの8割が落ちてまるだしになって垂れ下がる木の枝が、寒さに震えていた。枝垂れ桜はソメイヨシノより少し季節が前倒しとわかってはいても、自分は満開の時期を見なかったという事実が、何か取り返しのつかない損をしてしまったかのように感じた。だが、生まれたてのうす緑色の葉がぴょんぴょん突き出て、赤いがくだけになった桜のどこがわるいのだろうか。落ちた桜の花びらは雨に濡れ、土にじっとりと張り付いている。だがよく見ると屏風絵にしてもおかしくないような図だった。枝から離れて地上に下り、土に還ろうとする花びらだって美しいものなのだ。
桜の樹の下には屍体が埋まっている、と梶井基次郎は書いた。桜の、あのただごとではない美しさは、命と背中合わせの何かが養分になっているという感覚、これはなんとなくわかる。桜の連想は同期の桜、戦没者にもつながるわけだが、そうすると千鳥ヶ淵も、上野の山も、桜を口実に仲間と集まって、酔っ払って騒ぐ場所にするのは不謹慎ではないかと思ってしまう。だが、来年もまた集うことができるかわからない人と、また会おうと力強くも不確かな約束を交わす、という一里塚にするのなら大いにあり得るかな。あのような場所で集うなら、そのくらいの覚悟を一ミリくらいは持っていたい。
「同期の桜」…なぜか出だしだけは歌える。「海ゆかば」も一節だけなら耳に覚えがある。「軍艦マーチ」…は長らくパチンコ屋さんの音楽だと思っていた。(昭和の時分には、パチンコ店から大音量の「軍艦マーチ」が聞こえてくるのが常だった)。だがあのマーチに合わせて歩くのは子供心にいやでいやでいやでいやで仕方がなかった。道を歩いているうちにどこからともなく聞こえてくるドゥーッダ ダッダ ダダダダ ダーッドゥダドゥダーのリズムに足を出すタイミングがそろってしまうと泣きわめいた。かんしゃくを起こしながら、わざとテンポをずらそうとして歩くのだが、親に「気短かをおこさないの!ちゃんと歩きなさい」と叱られるのでどこに怒りをぶつけて良いのか分からず、余計に腹がたった。子供だったので、なぜ「軍艦マーチ」のテンポに足がそろうと嫌な気持ちがするのかを親に説明できなかったのだ。まあ、じゅうぶん大人になった今でも、なぜ嫌なのかは説明はできないし、今だってマーチのようなものが聞こえてきたら足が地を踏むテンポを合わせないように心がけている。
最近では「軍艦マーチ」を街中で聞くことはなくなった。けれどもマーチ状の音楽は巷にあふれているので、油断は禁物なのである。「ミッキーマウスマーチ」、「史上最大の作戦 Longest Day」、「星条旗よ永遠なれ」etc…ちなみに水前寺清子が歌う「365歩のマーチ」は遭遇頻度が減ったが、「となりのトトロ」の「さんぽ」にはまだまだ不意打ちをくらうことがある。