まだコロナ禍が世界を襲う前のある日、銀座の雑踏の中で私は途方に暮れていた。次の予定まで時間が中途半端に空いてしまって、ちょっとお茶でもしようかと思ったが、どこもいっぱいで入れない。道端でぼうっとしていたら中年の女性に声をかけられた。
「お時間おありでしたら、ご協力くださいませんか。アイスクリームのお味を見ていただく調査です。だいたい20分くらいですが、どうでしょう。ご協力の御礼にアイスクリームの商品券も差し上げます。」
20分ならちょうどいいし、アイスクリームを食べる調査だなんてラッキー!しかも商品券までもらえる。私は二つ返事で、その女性にホイホイとついていった。
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雑居ビルをエレベーターであがり、通された場所は大きな会議室だった。なぜか、このような調査にありがちな個別の仕切りがなく、100人くらいの老若男女が長机の前に座っていた。一見したところ、誰もがちょっと戸惑った様子で、居心地悪そうに座っているのがわかった。
これはいけない。失敗したかも…。雰囲気から察するに新興宗教団体か、ネズミ講への勧誘か。早く逃げた方がいい。あわてて出入り口を目視して立ち上がった瞬間、高圧的な音ともに扉が閉まった。
ああ…これは詰んじゃったかな…。もっと早い時点で異変に気づくべきだったのに。アイスなんかにつられた私がバカだった…。
そこへスーツ姿の男がつかつかと寄ってきて、作り笑いをしながら言う。「ど~うっぞぉ!おかけください。」
薄気味悪いことこの上ない。しかもなんとなく逆らえない空気があったので、とりあえず従順なふりをして座った。けれど頭のなかは脱出計画のことでいっぱいだ。
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突然、怪しげな音楽が大音量で流れ始めた。素人が安いシンセサイザーで作ったような音響だった。これは完全に新興宗教だ。洗脳されないためにはどうしたら良いだろうか。あまりに逆らおうとするとかえって飲み込まれるかもしれない。私は適当に流す感じで聴こうと、努力した。
続いてアナウンスが流れる。
「そろそろ星に帰る時が近づきました。みなさま心の準備をしてまいりましょう…。謹んでお知らせ申し上げます。あなた方は……タブラ星人です。」
え、私、地球の人じゃなかったの!? これが本当なら、新興宗教よりもよっぽど深刻な事態では…。
集められた人めいめいに、なぜかタライが手渡された。みんな訳がわからずタライをもてあそんでいたが、しばらくすると誰からともなくそれを頭にかぶり、トントンと叩き始めたのだった。会議室はあっという間に、スコールがトタン屋根を弾くときのような、ザーッという音で包まれた。
私も恐る恐るタライを被ってみる。するとなんたることか、暖かいような懐かしいような気持ちになる。両手首を頭上において、二、三の指でタライを叩くと、やたらにいい音がした。夢中になって叩いているうちに、とうとう自分がタブラ星人であるという、はっきりした記憶が私の中に蘇ったのだった。
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さて、星に帰るとなると、これまで地球で家族や、友人だと思ってきた人たちと離れなければいけない。けれども、いまこの会議室で一緒になってタライを叩いている人たちが、実はわたしの家族や友人かもしれない。もっと一生懸命叩いたらタブラ星にいたときのことをたくさん思い出して、地球を離れることがさみしくなくなるのかな…。
泣きながら頭上のタライを叩いた。必死で叩いた。全てを捨てることのつらさ、もうきっと地球には戻ってこられないだろうという悲しさで胸いっぱいになりながら、渾身の力をこめて叩き続けた。
その時である。前方に設置してあったテレビが急に点いて、ドラえもんが画面に走り込んできた。
「勝訴!!みなさぁ~~~~~ん!! 勝訴したから、帰らなくていいですよ~~~~っ!!」
昭和世代のドラえもん、大山のぶ代のダミ声が会議室に響き渡る。ドラえもんは墨で堂々と「勝訴」と書いた紙を上下に広げて持っていた。私は、ひゅんと我に返ったようになりながら、会議室に集められた見知らぬタブラ星人仲間たちと、地球に残留できることを爆発的に喜び合ったのだった。
けれども、わたしはここに白状する。この時、心にはほんの一ミリだけ、タブラ星に戻れない寂しさが残っていたような気がすることを。
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今号も夢の話でした。眠りが浅いのか、妙な夢ばかり見るので、ひところは夢の内容を覚えておこうと、起きたらすぐに家族に話したり、内容を書きとめたりしていました。タブラ星の話も、そんななかの一つです。それにしても、タブラなのになぜタライ状だったのかは、自分でもよくわかりません。