編み狂う(7)

斎藤真理子

私が編み物を何のためにしているかというと。
一応、着られるものを編んではいるが、それが目的ではない。この「編み狂う」を書きはじめたとき、「編んでいるその瞬間がいいから編み物をしている」と書いた。それも本当だが、それが目的かというとまた違う。

目的というものはたいがい単線ではなく、複線だし、もっといえば四車線道路みたいなもので、上り下りが同時に動くから、上りと下りで打ち消しあって結果がどうなっているのかよくわからない。要は、「何のために何をやっているのか」がわからず、忙しくしているうちに何十年も経つ。そういうことがよくある。

子供のころ、縄文土器が好きだった。
博物館に行くと飾ってあるやつではなく、そのへんの田んぼに転がっている破片に夢中になった。わが家の近所には昔、人がいっぱい住んでいたらしく、場所を狙い定めて行けば土器片はわりと容易に拾えた。

それらは、「自分は別にここにいたいわけでもないが、いたくないわけでもなく、この四、五千年はここにいるだけだが、お前が拾いたいなら拾え、嬉しくもないが悲しくもない」という風情で、平気で私に拾われていた。縒った植物の繊維や貝殻の縁、竹の断面などで模様をつけた厚手の焼き物の破片で、宝ということばをあてがうのもためらわれるほど、とくべつであったね。平たい菓子の箱に並べてずいぶん大事にしていたが、今は一かけも残っていない。縄文のゴミ捨て場から私を経由して、いつの間にか昭和のゴミ箱に行ったのだろうが。

その延長で大学は考古学科に入った。ところが、いくらでも土器に触れるようになったら、別に嬉しくもないのだった。しばらく発掘の手伝いにも行っていたがやめてしまい、ただの、だらだらした学生になった。

1990年代になって、廃墟マニアと分類されるような人たちが登場し、彼らが作った写真集が出はじめたとき、自分はこっちだったとようやく気づいた。そういえば縄文土器だけではなく、江戸時代の墓も、朽ち果てそうなお堂も、廃工場跡も好きだった。いちばん好きだったのは筑豊の炭鉱のホッパー跡だし。

そもそも、考古学が気になりだしたいちばんの大元を思い出してみたら、子供のときに読んだ、トロイアを発掘したシュリーマンの伝記だった。しかも私が気に入ったのは、シュリーマンがやった発掘調査や研究ではなく、冒頭に書かれた、きわめて情緒的なトロイア戦争の描写であった。負けたトロイアの都に火が放たれ、誰か(たぶん、アイネイアスという人)が父親をおぶい、幼い息子の手を引いて燃えさかる門をくぐるや否や、門はその背後で轟音を立てて崩れ落ちる……焼け跡と化したトロイア……長い歳月を経てそこには塵が積もり、土に埋もれ、忘れられ、何も知らない牧童が風に吹かれて笛を吹いている……みたいな(そういう挿画が入っていたと思う)。

私は自分が、モノそれ自体に語らせるという、学問の手法としての考古学に惹かれたと勘違いしていた。蒐集癖もあったので、それが縄文土器に結びついたのかとも思っていた。だが、総合してみるとただの「プチ諸行無常」好きだったことが、判明した。

要は、つわものでも、たわけものでも、何ものでもいいのだが、「これ、夢の跡なんじゃないの」と思われるものを見つけるとうっとりするという、それだけなのである。

今は旅行に行けないので、ウォーキングの途中にこっそり廃屋を見ているが、それで十分だ。
近所の空き家で十分なのに大学の考古学科まで行ったのは、相当に無駄と思えるが、「自分は何のために何をやっているのか」がわからなかったのだから仕方がない。

では翻って、廃屋を見て満足するのはいったい、何のために何をやってることになるのだろうか。

最近、それはイメージトレーニングだということがわかってきた。滅びるレッスンの一環である。滅びる途中のものを見て、それが消えたときのことをイメージし、「消えても大丈夫」→「私がいなくなっても(地球が)あるから大丈夫」と連想を広げていくトレーニング。どうも、イメトレの方が無駄にスケールが大きすぎ、実技に役に立たない気がするが、これもまたしょうがない。

そして、さらに話を戻すと、編み物も同じだ。
韓国語には「時間を過ごす」というときに使う지내다(チネダ)という動詞と、「時間を送る」というときに使う보내다(ポネダ)という動詞がある。この使い分けは日本語とよく似ている。例えば日本語で「いかがお過ごしでしたか」とは言うけれど、「いかがお送りでしたか」とは言わない。「チネダ」と「ポネダ」の使い分けもこれとほとんど同じなので、ちょっと驚いてしまう。

だが、「ポネダ」の方には、日本語の「送る」とは違うニュアンスがある。この言葉は日本語の「送る」と同様、荷物や手紙、視線や賞賛を「送る」ときにも使われるが、人間を目的語として使うと、人をどこかへ送り出す・派遣する・結婚させたり海外留学に行かせる、またはもっと遠くに行かせる(=死に別れる)を意味する場合もある。字面でいえば「遣(や)る」というニュアンスに近いかもしれない。

そして編み物は、時間を「ポネダ」する行為なのである。
これもまた1回目に書いたことだが、「時間はなぜ私と相談もせずにかくもすばやく去るのであるか」というのが、私の憤慨のもとなので、それが積もり積もってくると、時間が去るのをただ見ているのが嫌になり、逆ギレして、いっそ自分も加担した方がましだと思いはじめる。

時間の背中に両手を当て、力をこめて、ぐいぐい押す。
「ああもう、そんなことならばいっそ、早く行って仕舞へ」
みたいになる。編み物はそこに油を注ぐ行為。
限られた自分だけの時間を、自分の裁量(自分の編み針)で、前のめりに押す。

この情緒は確かに「プチ諸行無常」の一部ではあるが、百人一首でいえば「花よりほかに知る人もなし」とか、「あはれ今年の秋もいぬめり」的な寂しさ・はかなさでなく、「はげしかれとは祈らぬものを」とか、「つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」とか、「むべ山風を嵐といふらむ」的な、やかましく、逆上しがちな、無駄な動きの多い情緒だと思う。

そのようにして、加速度をつけて編み狂っていると、次第に
「盛大に行けばよい。私のことは考えなくてよい。すまぬなどと思うな、行くがよい!」
みたいな、大仰な身振りになってきて、さらに力が入る……編み針が早くなる。

放っておいても過ぎ去るはずの時間に、わざわざ体当たりして、「ポネダ」する。
うららかに流れる時に、何もかも飲み込んでくださるという悠久の時にむかってわざわざ突撃して、「ポネダ」するんですよ、編み針という槍をふりかざして……ばかではないのか……しかし、そうやって貴重なはずの時間をがんがん蕩尽することは、自分の意思で時間を制御しているという歪んだ自負に通じ、「私は時間を惜しんではいない、滅びることを意に介していませんよ」というジェスチャーに通じ、脳内麻薬がどんどん分泌される。イメトレが現実を凌駕する。

本来、すきま時間に畑のすきまでハーブを栽培するようなことが、いつのまにか焼畑農業になっている。

こういうときの編み物はたいへん暴力的なのだ。そして、暴力が通過した後は、編みあがったものも、編んだ私もどうせ滅びるので、どうでもよく、縄文土器の破片なみに畑に転がっている感じ、つまり私の編み物の目的は畑に転がって無になることらしい。ついでに言うと私が好んで編む編み地は、ぼこぼこしていて、立体感があり、縄文土器のテクスチャーに何となく似ています。

韓国映画を観ていると、暴力的に編み物をする女性がときどき出てくる。例の『パラサイト』の冒頭でも、母親がかぎ針でコースターみたいなものを編んでいた(内職かもしれない)。情緒もへったくれもない編み方で、親近感が湧いた。あの人も多分、家族を含む他人によって規定された時間の枠内で生きてきて、編み針で操作している時間だけが、自分のものといえる時間なのかもしれないと思った。