ラジオ石/ici

新井卓

 深夜──といってもまだ十時半で、寝かしつけるこどもにつられ眠り込んでしまったから、そう感じるだけ──ずっしりと水を含んだ220番の石に刃をあて、少しずつ番手を上げながら、日本から持ってきた三徳包丁を研ぎ上げる。
 研ぎ、に関して少し腕に覚えがあるのは、仕事柄もう二十年も銀板を磨きつづけているからだ。よく研げたかどうかは、磨く手がかりがふと消え「つかみどころ」のなくなったような感覚でわかる。そうなれば、銀板のおもてや刃先に、濡れたようなとろみのある光沢がでているはずだ。
 研(みが)く、とは実際、もともとある傷をより細かい傷で覆っていくではないか。だから、一見すると滑らかなものを手にとるとき、わたしたちは目に見えず感じることもない無数の傷に触れている。粉をはたいたのど飴みたいなシーグラス、壊れたかたちのままに丸びた巻き貝たち。あなたとわたしの肌。鏡のおもて。

 なぜ、ないものばかり、見えてしまうのだろう。
 熊の紋章を掲げるこのベルリン州に、熊はもうひとりもいない。地元のひとびとが森/Waldと呼ぶ場所はどれも二次林で、根こそぎにされた大地に返り咲く脆弱な生態系なのだと、東アジアの苛烈な自然に研ぎ出されたわたしたちには、わかってしまう。ここらの自然はすべすべとして肌心地よく、裸足で、裸で歩いていける。よく躾けられ、わたしたちを脅かしたりしない、従順な自然。

 家族の集まりで、Juist /ユースト、という島に呼ばれる。
 本土と島の間には滑らかな砂泥が堆積しており、水深は人の背丈ほどもない。定期船はスクリューで泥を巻き上げながら、浚渫(しゅんせつ)船が作る水路を時速5キロで慎重に進んでいく。白人ばかりみっちりとならぶ上甲板で、長椅子の隙間を走りまわるこどもを追いかけながら、全方向からもの言いたげな?視線を浴びる。ここには金持ちのドイツ人しかこないから……海に行きたかったらポルトガルやギリシアに行った方が楽しいし、第一安いわけ。海風が冷たいのか冬もののジャケットの前を合わせながら、連れが言う。
 映画のロケ地だという高級ホテルを背に浜辺に降り、石をさがす。見渡すかぎりつづく遠浅の砂浜の果てに、ステンレス製の遊具がぽつんと立っていて、だれもいない。ここに石は、いない。そういえばベルリンでも、石が転がる景色を見たことがなかった。石がないのはさみしいことだろうか、と考えてみて、やはりそう、と思えてくる。二年前、フィンランドに住んだとき、なんだか守られている気がしていた。フィノスカンディアと呼ばれる北欧の大地は、氷河期のあいだ氷の重みで海抜より低いところに沈んでいたのが、間氷期に動き出した氷河に削られながら、すこしずつせり上がった(そして今もその途中にある)石の舞台みたいなものだ。ヘルシンキの街は、地上も地下もその石で作られていた。一万年前の氷河の痕跡を印した十億年前の石の上に立ち、囲まれていること。

 引き潮で永遠に後ずさっていくように見える海に入り、波の華がこんもりと溜まった浅瀬を、がしがしと歩いていく。なにか硬いものを踏み、取り上げる。それはミルクコーヒーの海水が煮詰まって凝固したのか、親指大の、チェルシーキャンディみたいなすべすべした石だった。てっぺんに乳白のメノウが埋まっている。
 旅に出るようになってから、行く先々で、「特別な石」を探すのが楽しみだった。何をもって特別とするのか、わからない。でも、特別だと思って持ち帰ると、その石に責任を負った気がして、家に帰るころにはすこし面倒になっているものだ。だから、集めた石たちは段ボール箱に入れ、押し入れの奥の見えないところで眠らせている。
 一つしか見つからない石をポケットに入れながら、選択肢がないというのはいいことだ、と思う。それしかない、というあっけない理由で「特別」な石。
 石/ici、ここに、いること。なぜ、ここにいるのだろう?と自問しなくても、もういいのだ。傷つき、流れ転がりつき、研かれてすべすべになった石たち──移民たち。移民になること。


ベルリンに引っ越してから、「ラジオ石/ici」をはじめました。よかったら聴いてください。