夜更けにひとり、キッチンで水をのむ。カルキのほのかな生臭さを帯びたぬるい水──それでも、上等の氷砂糖を一片、溶かし込んだような甘やかな味がするのは、宿酔いのなせるわざだろうか。そんなときいつも、山頭火の「へうへうとして水を味ふ」の句が頭にうかび、へうへう、という声かたちのまま、背を丸めコップに口をつけて水をむさぼる自分の姿は、まるで大きな蛙かなにかのようだ。
2005年の梅雨どき、中越地震から半年と少し過ぎたころ、雑誌の仕事で新潟へ旅したことがあった。取材先の酒造会社をたずねると、担当の男性はひとしきり震災の話をし、それから不意に、わたしたちに問いかけた──なぜ、米どころ、酒どころに地震が多いか知ってますか? 日本という火山帯では、地殻活動が激しい土地ほどミネラルを含んだいい水が湧きだすんです……。
それから、新潟から山道を抜けて被害の大きかった小千谷に向かった。たしかに、彼の言うとおりなのかもしれなかった。
山肌を縫いトンネルを越えるたび、山野の緑は密度と強靱さを増していく。中越や東海、山陰あるいは東北の山あいなど、どこでも大きな広葉樹につる性の植物が覆い被さり、隙間もなく下生えが密生する日本列島の極相林は、ほかのどの国にもない凄みを帯びている。都市や里を離れ一歩藪に踏みいれば、自然はわたしたちを浸食し脅かす存在でもあったことを、忘れていたあの身体の緊張とともに、思い出すことになるだろう。
養鯉農家では、得意先のために早々と錦鯉の売り買いを再開していた。生け簀を循環する、昨晩飲んだ吟醸酒のようにとろりとして重たい水。模様や大きさによってより分けられた鯉たちが、プラスチックの青い盥に浮かんで身動きもせず、ゆっくりと鰓を動かしている。その姿を凝視していると、渇いてもいない喉が無性に渇いてくるのだった。
他所の国から東京へ帰ってきた途端、ああ帰ってきたのだ、と思う、その感覚の大部分はおそらく大気の湿度から来ている。空港を出て一息、戸外の空気を吸い込めば、したたり落ちるようにもとのくらしへ溶け込んでいくのは、風呂水に身を沈めるように、わけもないことに思える(しっとりと/水を吸ひたる海綿の/重さに似たる心地ここちおぼゆる/石川啄木)。大岡信が言ったように感情も思想も、身体の七割を占める水が感じ、水が考えているのだとすれば(『故郷への水のメッセージ』1989年)、この土地では思考と言葉は湿度を帯びて形なく漂い、人々は水の不分明に生き個々の境界なくうつろっていくのだろうか。
夜更けのキッチンで、ひとり、水を飲んでいる。地上のあらゆる生きものたちのように、取り残され、干上がりつつある一つの潮溜まりとして。