別腸日記(7)飲み過ぎる人たち(後編)

新井卓

よその国から帰ってきて東京の夜の街へ漂い出ると、まず驚くのが酔いつぶれて路傍や駅舎に転がる人の多さだ。たとえばロスアンゼルスとかアムステルダムでそういう人がいたら、まずドラッグのオーバー・ドーズが疑われる。

いったい何が彼/彼女らをそこまで駆り立てるのか。自分のことを思い返しても、ひとり家にあって潰れるまで飲む、ということは余程のことがなければ起こらない。わたしたちが飲み過ぎるのは大抵の場合、社交の場においてである。

かつて勤めた広告写真の制作会社での二年間は、それこそ酒で海馬を焼き切ってしまいたい暗い日々だったが、その中でもっとも耐えがたかったのは、上司や客たちによって時々に設定される宴会だった。

そして、宴席とはいつでも無礼講なのである。ブレーコー、とは何か──16世紀に来日したポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリーゲスは、日本人の乱酒の習慣におどろき、日本人にとって酒宴は第一に相手を泥酔させることを目的としている、と書き残している(*)。この国の社会はいまだ年功序列主義に囚われているから、十代からたたき込まれる敬語の使い方と同様に、酒の席での立ち振る舞いはシステムから逸脱していないかどうかの指標として常時監視の眼から自由であることはない。

こうして視線の相克にあって酒はとどまるところをしらず、結局酔いつぶれるまで飲んでしまう。路上に座り込んでいるのは、果てしない戦いからようやく解放され、帰路なかばで難破した手負いの戦士たちにも見えてくる。

* ジョアン・ロドリーゲス「大航海時代叢書〈第I期 9〉日本教会史 上」岩波書店(1967)