メスカルは竜舌蘭を原料として作られる蒸留酒で、地中に穿った穴で材料を蒸し焼きにするためか、その余韻に泥臭いような、スモーキーな香りがある。遠い昔、記憶の少し黄ばんだ部分をくすぐるような、深い味わいは親戚のテキーラと似て非なるものだ。
テキサス州サン・アントニオで、仲間のアーティストも滞在先のアートペイス(美術NPO)のスタッフも誰ひとりとして酒を飲まない中、わたしは毎日仕事が終わると、窓辺を壮大に彩る夕日を眺めながら、一人寂しくメスカルを嘗めていたのだった。
そんなある日、それまであまり話したことがなかった一人のスタッフが、わたしのスタジオにやってきた。アートペイスで子供向けのプログラムを担当しているメキシコ移民の男で、エルネスト、といった。彼は開口一番、つい先週もう五年近く付きあってる彼氏と別れちゃってさ、落ち込んでるんだよね、とこぼしはじめた。いきなりなんだ、と思いながらも、じつは僕も飲む相手がいなくてつまらなくて……と話すうちに、じゃあ今晩にでも飲みに行こうか、という流れに相成った。
その日、仕事が終わってから、わたしたちは街の北側へ自転車を走らせた。最近の好景気で真新しくなった街区に洒落た服屋やレストランが並び、大通りの入り口には大きな虹の旗が翻っていた。このあたりは比較的成功した(establishedな)LGBTの連中がやってる店が多いんだ、とエルネストが教えてくれた。まずは腹ごしらえを、とハンバーガー・ショップに入り、1パイントの地ビールとアボガド入りダブル・チーズ・バーガーを注文した。肉汁たっぷりのパティは、表面が少し焦げるくらいで香ばしく、オリオン・ソースに混ぜ込まれた刻んだハラペーニョがいいアクセントになっていた。
ウェイターはエルネストの古い友人らしく「あたしもう帰るとこだったけど。フラれちゃって辛そうだからもうちょっといてあげてもいいけど」と言った。エルネストが悪いけど細かいのないんだよね、でも彼、本当はシフト終わってるからちょっと多めに頼むよ、と耳打ちするので、わたしはチップを三倍払った。
それにしても、なぜテキサスの人々は酒を飲まないのか──彼らに疑問をぶつけると、エルネストが皮肉な笑みを浮かべ「それはさ、白人たちと一緒に見て回るサン・アントニオは、本当のサン・アントニオじゃないから」と言った。
ではいったい何が本物のサン・アントニオなのか? 折しも季節は晩秋を迎え、街はハロウィン一色に染まっているかに見えた。10月31日、またエルネストがやってきて、今日はパーティだから一緒にどう? と誘ってくれた。もしかしてハロウィン? と聞くと、まさか! とんでもない、「死者の日」の前夜祭で一晩中飲んで踊るのだ、と満面の笑みで答えた。
夜、工場を改築したアート・センター「ブルー・スター・コンテンポラリー」に行くと、もうパーティは始まっていた。わたしたちが群衆に近づくと、皆がふり返って、ようエルネスト! と声をかける。夜な夜な地元のパーティでDJをこなし、休日には移民の子どもたちにボランティアでシルク・スクリーンを教える彼は、このあたりではちょっとした有名人、アニキ的存在なのだ。
地元の高校生バンドやメキシコから遠征してきたブラスバンドが次々に演奏を披露する中、わたしたちはひたすら飲み、夜の冷え込みに震えながら踊った。また近くのバーに漂っていけば、そこでも別のパーティが花開き、一人の白人もおらずヒスパニックだけの男女がべったりと抱き合い、喧噪の中で飲み、テーブルによじ登って笑いながら歌っていた。
どうやらサン・アントニオには、ふたつの異なる地図が重ね合わされているようだった──エルネストたちが、メキシコをメヒコ、と呼び、テキサスをテハス、と確かめるように発音するように、それらの時空は決して交差することはないだろう。バーにメスカルはなかったので、仲間たち(といってもその晩かぎり二度と会うことのない酒の盟友たち)と安いテキーラを何杯もあおって変な踊りを踊りながら、わたしは全身に染みわたる悦びに浸っていた。その素晴らしい開放感は、アルコールと脳の痺れからくるのか、あるいは、彼の地における一人のマイノリティとしての孤独から絞り出されたものだったか、今ではもう、どちらでもよいことに思える。