いわく、四十にして惑わず。論語など読んだこともないのに、四十歳になればそのような境地に達するのだと、思っていた。実際はどうか、といえばむしろ逆で、それまで気にも留めていなかった色々の迷いが頭をもたげ、心は千々に乱れるばかり。生まれて初めてユング派のカウンセリングを受けたのはつい最近のことだが、悪い癖で余計なサービス精神を働かせ、心理学者が喜びそうなことを進んで話そうとする始末である。また行くかどうかは、決めていない。たぶん、行かないかもしれない。
そんな最近の混沌とした生活に救いがあるとすれば、それは、画家の藤井健司(第2回でも触れたウイスキー狂いの男)、彫刻家の橋本雅也と打楽器トリオ「チクリンズ(竹林図)」を結成したことかもしれない。トリオと言ってもまじめに練習したり、コンサートを計画するわけではなく、ただ酒を飲んだり焚き火で肉を焼いたりしながら、三浦海岸の砂浜や、わたしのスタジオで、日がな一日太鼓を叩くだけの集まりにすぎない。
藤井君とは2006年に横浜美術館の滞在制作プログラムで出会って以来のつきあいだが、彼はその時から、美術館の脇でジャンベを叩いたりしており、近隣からうるさがられていた。人目もはばからず、日差しの中でポコポコと気持ちよさそうに遊ぶ彼が羨ましくて、わたしも、自分でカリンバを組み立てて参加させてもらった。その小さな楽器は下手な演奏でずいぶん削れてしまったが、胴体に藤井君が描いてくれた墨絵は健在で、爪弾くたび、ひどく不安で、また無性に楽しくもあった、あの数ヶ月を思い出す。
橋本君とはその数年後、上海の展覧会がきっかけで出会った。当時は水牛の骨(記憶が正しければ)を微細に彫り込んだ、繊細ながらどこか呪術的な不思議な作品を発表していた。東日本大震災の前後に再会してみると、狩人の友人と鹿を撃ち、解体するところからはじめ、その骨から恐るべき強度の彫刻──歯科用の器具を使い、主に草々のかたちをうつした作品──を生み出す姿に、改めて衝撃を受けた。その彼がアジア辺境のレイヴを渡り歩く、マニアックな太鼓叩きだということを、最近になって知ったのだった。
リズムに全然自信のないわたしが、そんな二人と一緒に叩くようになった契機は、一昨年、ロシア製スチール・タング・ドラムを手にしたことによる。トリニダード・トバゴ発祥の楽器、スティール・パンを裏返して──つまり、凹を凸の形にして──もう一枚のパンと貼り合わせ、持ち運びやすくしたのが、2000年にスイスで発明されたハンドパンである。わたしの楽器は、ハンドパンの構造を元に作られた新型のスチール・タング・ドラムで、元祖ハンドパンより求めやすい値段だった。ちょうど大きな作品が売れたことに気をよくし、インターネットで衝動買いしたのだった。
スチール・タング・ドラムの演奏に特別な技術はいらない。あぐらに据えてピアノを弾く感じで指を置くとたちまち、全身に染みるような深々とした音が響いて、四囲の空間に充満する。鳴る音は決まっていて、Bマイナーのペンタトニック・スケール(五音音階)。音の組合せは限られているのに、日ごと、鳴らす音は一度も同じにならない──こうしよう、と決めず、無心に弾くかぎりにおいては。
どういうわけか開けた場所の方がよく鳴るこの楽器を、一人、野山や川岸、浜辺と持ち歩くうち、ふと、何か腑に落ちるものがあった。その感じは、次第に簡単な言葉となって立ち上がっていった。「身体のことを、やらなければいけないのだ」と。それがどういう意味なのか、はっきりとはわからなかったが、とにかく、身体のことをやらなくては。得体の知れないなにかが声低く、わたしにむかって、そう告げるのだった。