今年は1月1日がだらだらと続いた。1日の夜に羽田を発ち、まずはホノルルでトランジットし、それから目的地であるニューヨークへと、太平洋を横断して、つまり1日をずっと延長しながら過ごしたからである。ちなみに、出発したのは夜の20時だったが、ホノルルに着いたのは1日の朝8時だった。得した気分である。
ニューヨークに行ったのは、とある学会の年次大会に参加するためだった。冷戦以降の歴史の語り方をアジア、東欧、西欧の視点から検討する、というパネルセッションの報告者のひとりとしての参加だった。ヒルトン・ホテルとシェラトン・ホテルの会議室フロアを借り切り、3日から6日までの4日間、8時から20時まで合衆国はもちろん、世界中の研究者が集って研究発表し続ける、という、豪快にしてストイックな大会だった。
英語がからきしダメな私は、12月頃から、大学でフランス語を教えるかたわら自宅では英語の自学自習に励んでいた。学期末試験が近いので、学生たちには試験勉強をするよう促し、発音をさせてはそれを修正し、読解をさせてはその解釈に講釈をたれていたのだが、当の教員は帰宅後こっそりと英単語を覚え、冷や汗を流しながら発表原稿の音読をしていたのである。
この英語学習は現地についてからも続いた。到着したのは2日で、登壇は5日である。ということは、残り時間は3日。この時点で、原稿はすでにできていた。だが、辞書を引き引き書いた文章は、口頭発表では使い物にならない。というのも、読み上げた時にどうしても不自然になってしまうからだ。頭だけで書いた文章で使われている語彙は、からだに馴染んでいないために、読み上げるとぎこちなさに拍車がかかる。そこにきて、私の発音は、まあひどいのだ。聴衆からしたら、おそらく何を言っているのかわからない代物になってしまうだろう。というわけで、私の低い水準でも口から出てくるような単語で言い換え、場合によってはいくつかの単語に馴染んでおく必要があるわけだ。
告白しておくと、ニューヨーク行きのために、私は近所の啓文堂書店で『地球の歩き方 ニューヨーク、マンハッタン&ブルックリン2024〜2025』を購入し、観光地の下調べもしていた。だが、それらを楽しく観て回る余裕はなく、ホテルの一室でひたすら発表練習をしていたのである。
ノックの音。扉を開けると、ラテン系の顔立ちをした中年の女性が立っている。ハウスキーピングです。あの、掃除中も、部屋に、のこっていても、いいでしょうか? ええ、もちろん。たどたどしい英語が通じた! 業務的な英語ではあるけれども、きちんと返答してもらえた! そんな低レベルな喜びに浸りながら、同時に惨めだった。期末試験の前日に出題されそうな問題にやまをかけて一夜漬けしたとき、頭の中には、結局は定着することのない朧げな知識がもやもやぐるぐると渦巻いているものだが、その時の私も同じ状態だった。思えば、こんなふうにもやもやぐるぐるとしたままこの歳まできてしまったような気がする。
携帯電話の着信音が鳴り響く。ベッドのシーツを替えていた小柄な中年の女性がポケットからスマートフォンを取り出す。笑いながら彼女が発したのは、生き生きとしたスペイン語だ。それまでの業務的な英語ではなく、友人とおぼしき相手と話す、楽しそうなスペイン語。優しい音、明確な音節、簡素な構文、そして遠い縁戚のようないくつかの単語を、縮こまっていた耳がとらえる。ロマンス語の響き。そのにぎやかな音色が、惨めな気持ちに浸っていた外国語学習者にはなんとも心地よく、と同時に、いま目の前でスペイン語を発している彼女がどのような経験を経てマンハッタンで英語を話しているのか気になった。
マンハッタンで出会ったスペイン語は、ほんの一瞬のものだったけれども、忘れられない輝きを放っていた。スペイン語の時間は30秒ほどで終わった。そのわずかな時間が、ずっとずっと続けば良いのに、と思った。