5月にはいって、それまでウンともスンともいわなかったバオバブがいっせいに芽吹いた。枯れ木にしか見えなかったそれに、緑のイボができはじめ、そのイボは日に日に大きくなり、ある日見覚えのある手のひらのような形の葉が飛び出してくる。そのタイミングをみはからって灌水すると、冬のあいだ一滴も水を与えられていなかった彼らは、我を忘れて飲み干す。耳をすませばグビグビと音が聞こえてきそうだ。根の先端から木の頂点まで、淀んだ粘液の沼のようになっていた樹液が水を含み、堰をきったように流れ出し、その奔流が一枚一枚の葉となって萌え出る。バオバブの葉っぱは食べられるそうだが、たしかに、この出たばかりの柔らかい葉を摘んでさっと茹でたり、油で香ばしく揚げたら美味しそうだ。
去年の秋に購入し、ベランダに放置しておいたエケベリア(多肉植物)数鉢も、冬の寒さのなか肉をぎゅっと引き締め、その柔らかな成長点を北風や霜から守っていたが、暖かくなり、しかも最近は適度に雨も降るので、みずみずしく膨れあがり、赤ん坊の手の甲のようにふくふくとしている。もっとも、それを日々観察しているわけではなく、時々思い出したらじっと眺める程度の注意しか払っていないのだが、5月のある日、何の気もなしに目をやると、その赤ん坊の手の甲の幾つかから針金のようなものがにゅうっとのび、橙色をした小さな釣鐘のような花が咲いていた。その日は5月だというのに暑い日だったが、熱と湿気をふくんだ濃厚な風に吹かれて、橙色の釣鐘は、小さなモビールのように揺れていた。
5月中旬、カリブ海で出版社を経営しているフロランが日本に遊びにきたので、滞在中何度か会った。ちょうど2年前、まだ私がパリにいた時分、それまで見ず知らずの人だった彼からメッセンジャー経由で連絡が来て、モンパルナスのカフェで会った。マルティニックとグアドループに拠点を置く小さな出版社の存在は知っていたが、それをどんな人が運営しているのかまるで知らなかった。約束の時間にカフェで待っていると、50代くらいの背の高い男性がやってきた。あとで訊くと、彼はケベック生まれで、いまはケベックとフランスの二重国籍を持っているとのことだった。
大学卒業後、どういうわけかカリブ海で自動車関係の仕事につき、ある出来事をきっかけにその仕事を辞めてから、失業保険を元手にいまの出版社を立ち上げた。今年で17年目になる。彼の父親は68年5月の時——息子が生まれるのはその翌年だ——他の学生と同様政治青年だったらしい。ケベックでの子供時代、直接目にしたわけではないが、ケベック独立運動がもっとも苛烈な形をとった頃の生々しい出来事を周囲の大人を介して知った……早稲田から高田馬場まで、もうすっかり少なくなってしまった古本屋街を一緒に歩き、ときに何冊かの古本を手に入れながら、そんな話をした。ケベック生まれの青年が立ち上げた出版社は、いまではカリブ海の名だたる作家たちの書物を刊行しているし、セリーヌやエルノーといった有名作家のフランス語作品をクレオール語に訳したものも刊行している。数年前のことだが、ラファエル・コンフィアンと会った時に、これまでクレオール語で書かれた作品はフランス語に翻訳されなければ誰も見向きもしなかった、だが、これからはフランス語の作品がクレオール語に翻訳される時代だ、と言っていた。翻訳の試みは次々形になっているが、それを支えているのはフロランだ。
彼が特に力を入れているのは児童書、そして青少年向けの書籍の出版だそうだ。マクドナルドは知っていても、「パンの実」が何なのか知らない子どもが増えてきた。そんな子どもたちに土地の動植物の名を教えるための児童書を多く刊行している。フロランが編集した本を通して、はじめて「パンの実」の存在を知った子どもたちは、もうじき親になる。