二月二日、つまりは明日ですね、おれはシリツを受ける。
シリツ大学を受験する訳ではない。シリツ大学は四十三年前にめでたく首席卒業している。首席ではなかったかもしれない。卒業証書も紛失しているかもしれない。しかしながら求めがあれば19.2秒間のチラ見せなら可能かもしれない。ラブホテルにも十回以上同行したかもしれないが、男女の関係はなかったかもしれない。どうやらおれは二つの事例をゴッチャにしているかもしれない。
シリツとは言うまでもなく「手術」だ。つげ義春さん作『ねじ式』内の台詞、
「先生! シリツをして下さい」を若い時分に読んでから、おれにとっての「手術」は「シリツ」になったのだ。文句がなければ話を進める。
話は一昨年の夏に遡る。
左膝に突然激痛が走った。ジムで横になり、ストレッチをしていたときのことだった。あまりの痛さにおれは寝たまま尺取り虫のように移動し、両手で柱を掴み、ようやく立つことができた。一歩踏み出すたびに左膝が悲鳴を上げる。これは筋肉の痛みではない、骨の痛みだ、とおれは思った。脂汗をかきながら足を引きずり、なんとかジムから脱出した。
予兆らしきものはあった。一か月ほど前に左膝の裏の筋肉が異常に痛くなり、近所の整形外科で診断を受けたのだ。レントゲンでは骨に異常なしと言われ、痛み止めの錠剤と湿布を処方された。膝裏の痛みはある程度緩和され、おれはジムでウォーキングを再開した。ジョギングは時期尚早だと思ったからだ。
左膝の骨の激痛は、無事に筋トレとウォーキングを終えて、仕上げのストレッチをしていたときの惨事だった。いままでに経験したことがないような激しい痛みだったので、おれは再び整形外科を訪れた。医師はそれまでより強力な痛み止めの錠剤と湿布を処方してくれたが、この強い薬がまったく効かない。歩を進めるごとに左膝の骨は鋭く痛み、階段を見ると途方に暮れた。
そこからおれと左膝のタタカイが始まった。
痛みが引かないのでMRI検査を受けたら「膝関節突発性骨壊死」との診断が下った。「壊死」とはいかにも剣呑ではないか。詳しく訊くと、
「膝の内側、大腿骨内顆に発生する血流障害で、原因は不明だが微細骨折や半月板損傷が誘因となることもある」
とのことだった。治療方法としては、
・ 温存療法……痛み止めの薬を飲みながら、日常生活では膝への負担を減らす行動を心掛ける
・ 手術療法……骨切り術、あるいは人口膝関節置換術
しかしながら、いったん壊死した骨が元に戻る可能性はきわめて低く、シリツしても痛みは軽減するが、元どおりの運動機能は復活しないということだった。
この事実は悲しかった。ジョギングなどの有酸素運動を日課にしていたのに、もう走ることはできないのだ。今までは歩行者用信号の青ランプが点滅しても小走りして渡っていたのに、これからは心静かに立ち止まり、次の青信号を待たざるを得ないわけだ。
これからは各駅停車のジンセーなのか。追い越し車線で走ることはもうできないのか。ショックだったが、まあカイシャに勤めていた頃には同僚や後輩に追い越されてばかりだったので、仕方ない。これがおれのジンセーなのだ。
おれはセカンド・オピニオンを受けた。最初の診察は自宅の近所にある個人経営の整形外科、つまりは町整形だった。町中華は大好きだが、町整形は手術まではしてくれない。次に訪れたのは、町整形が紹介してくれた膝と股関節専門のクリニック。町中華から中華料理店に昇格だ。
だが、ここでは先生との相性が悪かった。治療方針が曖昧で、温存療法にするのかシリツにするのか、すべては患者であるおれが決めることだ、と言われてしまった。シリツするにしても人工関節置換術なら引き受けるが、骨切り術であれば他の病院に回す、と全体的に冷たい態度だったのだ。
シリツになった場合は、骨切り術なら入院二か月で地獄のリハビリが待ち受けているという。人工関節置換術なら二週間から三週間で退院後、リハビリに通うことになるらしい。その頃はまだカイシャに勤めていたので、二か月の入院は非現実的だった。二、三週間でその後のリハビリ通院だって、シゴト内容を考えると微妙に思えた。
すべてを曖昧にしつつ、おれは理学療法士のもとを訪れ、膝への負担を減らすストレッチも始めた。強い痛み止めの薬も飲み続けた。革靴をスニーカーに替え、左だけオーダー・メイドのインソールを装着した。杖も買った。杖を使わないと階段の昇り降りが難儀だったのだ。こういうヒトを市民ケーンという。わからないヒトは置いていきますよ。つまりやれることはすべてやったのだ。おかげで膝の状態は「激痛」から「痛み」へと徐々に改善していった。だが、痛いことに変わりはない。
そして二年の月日が流れ去り、街でベージュのコートを見かけると、指にルビーのリングを探すようになったおれは決意した。もう一度言いますが、わからないヒトは置いていきますからね。
シリツすることにしよう。そう決めたのだ。
サード・オピニオンとして大学病院に行った。街中華、中華料理店を経て、オークラ東京の桃花林へとたどり着いたわけだ。その大学病院で名医と呼ばれる先生の診察を受けた。その先生は言った。
「このまま痛み止めの薬を飲み続ければ、胃や腎臓に負担をかけることになりますし、骨切り術はかなりハードで、六十五歳という年齢を考えるとかなりギリギリのタイミングです。壊死部分の骨を削って人工関節に置き換えれば、完全に痛みから解放されることはありませんが、日常生活は現在よりスムーズに送れる可能性が高いでしょう」
おれも一生鎮痛剤を飲み続けるのには抵抗があった。
さりとて骨切り術で激痛に悶絶し、その後の地獄のリハビリに耐えられるかどうか自信がなかった。耐えたとしても「全治」しない、つまり些かの痛みもなく飛んだり跳ねたりできないのは割に合わないと思った。
ならば、あいだを取って人工関節置換のシリツだ。中道だ。中道改革連合だ。こう書くと「おいおい、大丈夫なのかよ」と不安になるが、仕方ない。
名医が目指すシリツは、前十字靭帯および後十字靭帯を切断せずに壊死部分の骨を処理するものだという。これが成功すれば早期退院も可能ではないのか。イヤだよ、十字靭帯断裂は。それだけで重傷ですよ。スポーツ新聞に「今季絶望」と書かれてしまうだろう。
そして最近の人工関節は、二十年くらい保つケースもあるという。その頃おれは八十五歳だ。もはや死んでいるか寝たきりかのどちらかだろう。もういい。人工関節の交換は考えないことにしよう。
「先生、シリツしてください」
おれの言葉に名医は、
「え、もう決めちゃうの?」という反応だったが、
「やりますか。でも二か月待ちですけど。僕の手術が立て込んでいるので」
いいではないか、予約二か月待ち。ザ・ノット東京新宿MORETHAN TAPAS LOUNGEのランチ・ビュッフェと同じですよ。
それに二か月という期間は、おれにとってちょうどいいモラトリアムのような気がした。左膝がロボットになる前にたくさん遊んでおこうと思い、予定を詰め込みすぎてすっかり疲れてしまった。
さて、明日全身麻酔で左の膝を十五センチほど切開してシリツするというが、術後の痛みはいかほどなのか。いつからリハビリできるのか。「入院は最低二週間」とは言われたが、実際にはどのくらいで退院できるのだろうか。人工関節にしたことによる膝の違和感はいつまで続くのだろうか。虫歯を削って銀歯を被せるのとはちょっと違うような気がする。膝に十五センチの傷跡が残るわけだから、グラビア・タレントとしての生命は絶たれてしまう。でも本当の命まで取られるわけじゃあるまいし、とは思うが不安は尽きない。
人工関節に「置換」するいちばんの不安は、おれの耳元で絶えず囁かれる警告だ。
「チカンはアカン」「チカンはアカン」「チカンはアカン」
待て次号。