香港の友人

西荻なな

香港からの友人が帰って行った。嵐が過ぎ去ってしまって寂しい思いだ。マシンガントーク、というのにふさわしく、出会い頭から、分析的かつ遠慮のないツッコミの連続を繰り出す彼女にたじたじとなってしまうことも多いのだが、空気の読みあいが支配する日本をつきぬけていくような気持ちよさもあって、年に何度かやってくる嵐の到来を、心待ちにしているところもある。

香港でブランドロゴのデザインなどを手がける家族経営の会社の実質社長である彼女は、正直すぎるほどに正直な反面、多分にロマンチスト。この二つの変数の掛け算で、存在自体が発する熱量がものすごく大きなものになっている、というのが私の分析だ。掛け合わせの妙で最大値を記録した時にはなかなかの爆発力を発揮するようで、大きなクラッシュを見せる場面にも、歓喜する場面にも居合わせたことがある。仕事の成功をつかめば最大限にハッピーになるし、差別的な話を見聞きすれば憤りを隠さない。仲の良い友人の身に起きるあれこれも、まるで自分のことのように喜んだり、怒ったりする。人生の主役感がどこか欠如した私にとって、ドラマチックに生きている彼女の姿は時に眩しい。

恋愛をめぐっても友情をめぐっても仕事をめぐっても、あらゆる面で”本物”への追求に余念がないため、それが”genuine”かどうか、というのが彼女の口癖だ。食一つとってみてもこだわりは半端なく、鮮度や味の深みなど、徹底して吟味を怠らない。いまいちと思った時に箸をとめるのは彼女自身が実際に料理上手なことに裏打ちされてもいるのだが、美味しいと思えば賛辞も最大級。山梨のシャインマスカットや山形のだだちゃ豆、気に入った素材は産地まで徹底的に情報をインプットした上で、彼女のお取り寄せリストに並ぶことになる。

メイドインジャパンのお気にいりの洋服が欲しいから、どこか良いお店に連れて行って! というわがままも度々で、新宿渋谷銀座、代官山から青山まで東京中を案内した。見る目は確かだし、高すぎるものには手を出さない。手触りで確かめて、コストパフォーマンスをきっちり計算して吟味するあたり、さすがビジネスをやっているだけあると感心する。自分に似合うものをよく心得ているから失敗もしない。そればかりか私への見立てもまた上手で、香港に足を運んだ時には徹底してスタイリストを務めてくれるのだ。互いの文化の”本物”を交換できることが嬉しい、といって、香港の本物を紹介してくれることにもためらいがないから、かえって気持ちがいい。

というのが基本線なのだが、今回の日本滞在中、彼女のクラッシュの場面がふた山ほどやってきた。その一つは香港のビジネスパートナーからもたらされた知らせによるもので、最初は歓喜として捉えていたニュースが、次の日にはいかにそこから手を引くか、というシリアスな話題へと転じていた。ナーバスになっているのだが、いかんせんこちらも背景事情までは理解が及ばない。建築家や工事現場の人たちと協働での仕事ゆえ、工場サイドのことまで把握していなければならない仕事の難しさがあるようなのだが、何かそのパワーバランスで悩みの種が出てきたらしい。そして人間関係も深く関わるものらしい。とりあえず怒りの感情が爆発しているふうで、しばらく収まりそうにない。こちらも仕事でてんてこ舞いで困っていたなと思っていたら、ある友人たちとの夕食会がきっかけで、すっと彼女のテンションが収束していった。それは物語的で、とても印象的なワンシーンだった。

最近私が知り合った、とてもきもちのよい女性たちの集いに、今日が東京滞在最終日という彼女を連れて行ったのだ。三々五々集まってくる面々。でも私もまた彼女たちとじっくり話すのは、その日が初めてのことだった。自己紹介もそこそこに、ナーバス気味な香港の友人 は、初めて会う私の知り合いに仕事の悩みを英語でぶつける。理知的で冷静、分析的な返しを彼女がしてくれることに申し訳なさと、ホッとする気持ちとを抱えながら、なんだかこの場の雰囲気を壊していないだろうかと内心ヒヤヒヤもしたのだが、それはそれで会話も展開しているようで、胸をなでおろしつつあった頃、一組の姉妹が遅れてやってきた。どちらもそれぞれに優雅さと落ち着きをたたえた、素敵な姉妹で、スウェーデンでバイオリンをやっている妹さんが香港友人の隣に座った。そのバイオリンの彼女が口を開いた時、今までとは違う雰囲気に場が包まれたのだ。とても静かで穏やかで、人の心を深く落ち着けてゆくような佇まいと声のトーン。まるで何か、ミヒャエル・エンデの世界から抜け出してきたような、という印象を抱いた。バイオリンというよりは、ビオラのような音程の声かもしれない。一言発するごとに、ハッと惹きつけられる。それは誰もが感じるに違いないものなのだろうけれども、驚いたのは、彼女と会話を始めた香港友人の声のボリュームが下がり、穏やかになり、その後、二人が静かに話を展開していく様だった。にぎにぎしい喧騒が静寂に包まれて、シンと透き通り、しだいに甘やかささえ満ちてくるようだった。打楽器がそれぞれに打ち鳴らされていたのが、急に場所場所でハーモニーを奏で始めるような不思議な雰囲気に包まれた。いつまでもそこに身を委ねていたいような、森の静けさに身を包まれたような、安心感。

翌朝、すっかり人が変わったような香港友人は、心から名残惜しそうに東京を後にした。その時に、彼女が残した一言が忘れられない。新たに友人になったバイオリン弾きの彼女のことを、”She’ s the sound of a mountain unaffected by the city”といったのだ。都市の喧騒の中にあって、彼女はその何にも影響されることなく、まるで山が奏でる音のようだ、と。私自身、いかにも香港人で、香港の喧騒みたいにおしゃべりでズバズバ色々と言ってしまうけれど、彼女みたいな静けさを私も身にまといたい、と。人と人とが出会って、そのハーモニーが心の深くに根を下ろしてくことが本当に素敵だと思える一夜だった。香港の喧騒もまた懐かしい。