「渾沌」の歌

越川道夫

今年の金木犀は、香ったと思うとすぐに満開になり、満開になったと思ったら強い風に散ってしまった。昨年はひと月ほど早く咲き始め、散った後もまた蕾を膨らませて二度咲いたように記憶している。今年の金木犀はとても儚い。もう少し長くあの花の香りが町中に香るのを楽しんでいたかった気がする。
 
金木犀がどこからか香る季節になると思い出すことがある。小学校の頃、ということは今から50年近く昔のことになるが、学校で急に高熱を出し搬送されたことがある。原因は分からない、風邪気味だったわけでもなく、それまではピンピンしていたのだから周囲の人たちは皆首を傾げていた。熱を出した当人は、もちろんそれどころではない。しかし、子供の急な発熱など珍しくもないのだから、と思っている父に、母が、まるで取り乱したように訴え出したと言う。うちの玄関の脇に柘植の木と金木犀の木が植えられている。その強い柘植の枝が伸びて金木犀の木に当たって傷つけている。金木犀は、あの子の木だから、それで急に熱を出したのだ、と。早く金木犀を傷つけている柘植の枝を払ってくれ、切ってくれ、と母は何度も譫言のように繰り返したという。
 
家の玄関の脇には確か柘植と、その隣に金木犀が植えられていて、確かに柘植の枝が伸びて金木犀に当たっている。しかし、その二つの木は庭を作ってくれた庭師がただ植えてくれたもので、金木犀は「あの子の木」というような謂れがあって植えたわけではない。ただ母があまりに憑かれたように懇願するので、訳がわからないながら父は彼女の言う通りに、柘植の枝を払った。すると、私の高熱はすぐ下がったのだ。母がそのようなことを譫言のように言い出したのは、後にも先にもそれきりである。私の熱が下がってしまえば、そう言った母自身も、そんなこと言いましたっけ、くらいの勢いでけろりとしている。金木犀が母に憑いて、自分を傷つけている柘植の枝を切らせたか。よく分からないが、それ以来、うちでは「金木犀」は「私の木」ということになった。あれから随分と時間が経って、父も母も老いたが、金木犀はまだ玄関の横にあって秋になれば花をつけ、周囲にあの花の香りを漂わせている。柘植の木は、もうない。
 
この秋は、ずっと石川淳の短編小説ばかりを読んでいた。読んだからどうするということでもないのだが、何か今読まねばならないような気がしたのだ。何度目かの再読である。「佳人」から始まり、「普賢」「山桜」「葦手」「雅歌」「処女懐胎」と、とにかく思いつくままに読みたいものを次々と読んでいく。小説でも映画でも面白いもので、若い頃に読んだ時はもちろん、ちょっと前に読んだ時とも感触が違う。今回は、まるで水が染み通るように石川淳の小説は私の中に入ってきた。さらに「鷹」「秘仏」と読み続けて、「紫苑物語」を読み終えた時、深いため息が体の中から出た。「紫苑物語」は、もはや「小説」でも「物語」でもないのではないか、と思ったのだ。この一編を批評する言葉を私は持たない。「小説」でも「物語」でもないとすれば、それは何だ、と問われれば、強いて言えば、それは「歌」だと答えるかもしれない。平安の頃の話だろうか、歌道の家に生まれた宗頼は、歌道を否定し弓に憑かれるが、狩りをしても何をしても森羅万象に対して自分の中に、それは自らに禁じた「長歌短歌のたぐひのもの」とは違うにいても「いかなる方式も定形も知らないやうな歌が體内に湧きひろが」っていると悟るや、それも否定する。弓で命を奪うことは、具体的なことである。「死」は「死」であり、「殺」は「殺」である。宗頼は弓で命を奪い続け、その體内に湧き広がる「歌」を殺す。血が流れた跡に、「わすれさせぬ草」である紫苑を植える。宗頼の「殺の矢」に命を奪われたものたちの夥しい血を吸った地面には、夥しい数の紫苑が植えられる。そしてついに「救い」をも宗頼は殺し、自らも谷底深くに落ちて死ぬだけでなく、愚かな一族郎党もすべて滅ぼしてしまう。人が絶えた後に残ったのは、「紫苑の茂み」である。そして、風雨を受けて、「そこに歌を發した」。愚かな人間が去った後に残ったのは「紫苑の茂み」と「歌」である。
 
「紫苑物語」は、その最後に残った「歌」を「鬼の歌」と呼ぶが、読み終えて「鬼」とは別のものを思った。中国の古い神話に「渾沌」という怪物がいる。神かもしれない。諸説あるが、「渾沌」は、目、鼻、耳、口など七孔がなく、手厚くもてなしてくれた「渾沌」の恩に服いるために七孔を「渾沌」にあけたら、「渾沌」は死んでしまったという。脚が六本と四枚の翼。腹はあるが五臓がなく、徳のある人がいると、出かけて行ってぶつかり、凶悪な人がいると、近づいていって擦り寄る。いつも自分の尻尾を咥えてくるくると回り、天を仰いで笑っている、という。この「小説」は、「渾沌」が歌った「歌」ではないかと思ったのだ。目も口も耳もない「渾沌」は、どんな「歌」を歌うだろうか。「渾沌」は歌うだろうか。