人がいなくなった世界

越川道夫

厳しい冬だと思う。比較のしようもないが、アルバムを繰って昨年撮った写真を見れば、この時期にはもうオオイヌノフグリが花を咲かせていた。それだけでも、今年の寒さが厳しいのだと知ることができる。毎日写真を撮るということは備考録としての役割も果たしてくれるということなのだ。1月も終わりとなれば、あたりは冬枯れである。花が咲き誇っているのも好きではあるが、凍てつくような寒さの中、草花が立ち枯れている方が私は好きなのかもしれない。生花やドライフライワーが好きだという心象の底には死体愛好がある、というようなことを書いたのはいったい誰だったか。誰が書いたのかも、どの本で読んだ言葉だったかも思い出すことができないので、分からないままでいる。
 
年末、ある集まりで会った人から、「SNSにアップされているあなたの写真からは人間の姿が排除されていますね」と指摘され、「仕事以外で人間の姿など撮りたくない」と答えた。それはその通りなのであって、私のアルバムを占める写真の多くは植物や野良猫、鳥の姿ばかりである。人間の姿は、ない。日日の写真の中に人間の姿だけでなく人間の営為を写し込むことも耐え難い。例えば家であるとか、人間の手で作られたものはできるだけフレームの中に入れたくはないと思って撮っているのだ。そう言えば、どこかで養老孟司さんが、一日のうち15分は人の手が加わっていないものを見る方が精神によい、と言っていたような記憶がある。人間の手が加わっていないものというのだから、同じ植物でも庭木や街路樹、花壇などはその対象にならないということになる。手っ取り早い「人間の手が加わっていないもの」とは、空や雲ということになるだろうか。もちろん、この世界で人間の手つかずの自然などというものあるはずもなく、すべて何がしかの人間の影響を受けているのは分かっている。養老さん言いたかったのは、人間の脳や精神は「野生」に触れる必要がある、ということではなかったか。
 
毎日のように冬枯れを巡って歩き、日課のように写真を撮ることが「野生」に触れているのかどうかは分からないが、人間の姿や営為を写真から排除する私はどこかで「人間がいなくなった世界」を夢想している、と言うことはできるかもしれない。人の住まなくなった家屋が繁茂する植物に呑み込まれるようにして朽ちていく姿を、私はどこかで「希望」だと思っているのである。たとえ人間が壊滅したとしても、植物は花を咲かせて枯れ、鳥は空を飛ぶだろう。「犬や猫は人間に依存して生きているのだから…」というような物言いは、人間の傲慢というものだ。当初は困るかもしれないが、犬は犬で、猫は猫で、人間なしにどうにかしていくはずだ。むしろ清々して生きるのかもしれない。
 
「カルメンは息をひきとろうとしている。彼女が問いかける。一方の片隅ですべての罪ある者が、もう一方の片隅ですべての罪なき者がそれぞれ死の苦しみにあえいでいるとき、それは何と呼ばれるのか、と。ボーイは私にはわかりませんと答える。カルメンは最後の力をふりしぼり、ボーイを罵倒する。彼女が言う。あなたの仕事をするのよ、バカね、さがすのよ、さがさなきゃいけないのよ、それはなんと呼ばれるのかを、と。(中略)
美声の若いボーイの腕にかかえられたカルメンの頭が次第に重くなってゆく。ボーイはガラス張りの天井ごしに、夕暮れの淡い光を見つめている。ボーイが言う。お嬢さん、私が思うのに、それは夜明けと呼ばれているのです、と。」(ジャン=リュック・ゴダール『カルメンという名の女』—シナリオ 奥村昭夫・訳)
 
ジャン=リュック・ゴダール監督の『カルメンという名の女』のラストシーンは、ジロドゥの戯曲を引用した私の最も愛する映画のラストの一つだが、そのシナリオを読みながら思い出したことがある。『海辺の生と死』を撮った時だろうか、「あなたの作る映画は必ずラストに“いつもと変わらない朝”が来ますね」と言われたことがある。それを聞いた写真家の島尾伸三さんは、それはあなたの映画への最大級の賛辞ですね、と笑った。ゴダールの作品でも、笠智衆が「—今日も暑うなるぞ…」と呟く小津安二郎の映画でいいのだが、私が映画というものを見て学んだことのひとつは、たとえ人間が壊滅してしまっても、どのような悲惨の中にいても「いつもと変わらない朝がくる」という、そのような世界の在り方だったのではないだろうか。そこに人間がいるかどうかは問題ではない。「いつもと変わらない朝がくる」こと、それが私にとっての「希望」なのだ。ただそれだけが。
 
私は、自分を含めて人間という生き物をお世辞にも好きだとは言い難い。積極的に嫌いだと言ってもいい。そう思いながらも、自分よりも大切に思っている人はいるし、私が愛するものの姿を写真におさめることもある。我ながら得手勝手なものだと思うが。そう思いながら、ふと、目の前にいる「この猫」は好きだけれど、猫全般が好きなわけじゃない、と言った人のことを思い出す。
 
今日、道端のコンクリートの割れ目から、菫がひと株生えていて、この寒さの中で花を咲かせているのを写真におさめた。
見上げれば、白い冬の空に蝋梅が甘い香りを放ちながら咲き始めている。
襤褸菊が小さな黄色い花を咲かせている。