風が吹く理由(5)新盆

長谷部千彩

広東語のレッスンを受けた帰り、いつものように教室の数軒隣りにあるコーヒーショップに寄った。普段ならサラリーマンや学生が注文の列をなしているのに、今日は誰も並んでいない。店内は閑散としている。コーヒーとサラダを買い、空いている席に腰を下ろす(といっても、ほとんどの席が空いている)。はっとする。
―あ、もしかして今日からお盆?
道理で朝からSNSのタイムラインに旅先からの写真が多くあがっているわけだ。私は、その中に、スイカと缶ビールが供えられた墓石の写真があったことを思い出した。「好物だったスイカを差し入れ。暑くなる前に、と思って早めに出たけど既に汗だく(–;)」と添えられたコメントと、それを読み、猛暑の中、平日の朝から電車に乗ってお墓参りに行くなんて、彼はどれだけ連れ合いのことを愛していたのだろう、やっぱりあれかしら、ゲイのカップルというのは愛情が濃いのかしら、などと勝手に想像し、勝手に感動していたことも。なるほど、新盆だったのだ。

コーヒーショップを出た私は、事務所のマネージャーに電話をかけてみた。
―今日からお盆みたいね、知ってた?
―らしいですね。
―世の中の人たちって本当にみんな休みをとっているのかしら?
―サラリーマンの人たちはとっているんじゃないですか。事務所に来る時、電車、ガラガラでしたよ。

音楽業界という盆も正月もない世界で働いてきたせいもある。だけど、それだけではない。私がお盆の始まりに気づかなかったのは、私の育った家庭にお墓参りの習慣がなかったということもある。いや、正確には、幼い頃には、その日が来れば、祖父母の家に連れて行かれ、そこから親族とともに車に分乗し、お寺へ向かった。そんな記憶もある。柄杓で墓石に水をかける行為、仏壇の前で煙くゆらすお線香、リンの響き、涼しげな花を浮かび上がらせ、くるくる回る行灯、夜遅くまで続く酒宴のことなど、夏の行事は記憶の断片として私の中に沈んでいる。
けれど、そういったあれこれはいつの間にか私の暮らしから消えてしまった。両親が離婚し、東京に引っ越し、祖父母が亡くなり、親戚とも疎遠になり、いま、私は、田舎と呼べる場所をなくすということは、手を放した風船が空に飛んで行くように、先祖という概念も失うことになるのかも、と考えている。
そして、失ったものがあった場所に芽を吹き、根を張ったのは、人間は死んだら終わり、人間は生まれ変わらない、だから生きている間だけが大事なのだ、という死生観だ。それは、お盆という行事から遠ざかった長い時間を経て、私という人間の立つ強固な地盤となっている。

その夜、予約がとれないと噂のビストロに友人たちと集まった。テーブルがおさえられたのは、お盆で東京に人がいないからかも、とひとりが言った。私は、お盆の間って仕事休んでいる?と尋ねてみた。ふたりとも、休んでいない、と首を横に振る。全員フリーランスであることを考えると、想像通りの答えではある。当然ながら、彼女たちにも、お墓参りに行った様子はなく、また、行く様子もなかった。
誰も彼も罰当たりな。心の中で笑ってみるも、すぐに考え直した。罰なんて当たらない。少なくとも私に限っては。”ご先祖様”という概念がない以上、”ご先祖様”は存在のしようがないのだし、ならば何の加護も受けられないだろうけど、罰というものも当たらないだろう。
バッグの中では、携帯電話が時折唸り、仕事のメールを受信している。明日もやはり暑いのだろうか。何件か回らなければならない用事がある。私は炭酸水を口に含んだ。せめて―せめて夕立でも降ってくれたらいいのに。