ビルマ(ミャンマー)のシャン州、インレー湖のほとりの町ニャウンシュエに来ている。4月からずっと忙しかったので、この小さな町でゆっくりしているところ。毎日のんびりと町を歩き、市場に顔を出す。日本でのあれこれやることばかりの忙しい毎日がうそのように、こちらの人は仕事も用事もゆっくりだ。毎日スコールがあり、決まってしばらく停電するので、忙しくしてもしかたがないのだけれど。
さて、先日ニャウンシュエの市場で、名前だけ知っていた豆の調味料「ポンイェージー」を見つけたのである。このポンイェージーとは、豆の茹で汁を煮詰めてペースト状にしたものだ。ビルマでは納豆を主にホースグラムという大豆によく似た小さな豆から作るが、そのホースグラムの茹で汁から作られるという。
じつは万葉の時代から日本にも同じようなものがあったらしく、それは「いろり」と呼ばれ、大豆の煮汁で作るものとカツオの煮汁で作るものとがあったらしい。大豆は味噌やひしおを作る時の煮汁の利用で、カツオもカツオ節を作る時に出る煮汁を利用したものだ。もっとも、現代でもそのいろりが豆にしてもカツオにしても作られているという話は聞かない。
市場で友人がかごを物色しているのを待っていたら、ちょっと先でおばちゃんが二人、小さなビニール袋に入れた茶色いものを4袋並べて売っていた。「それ、ペー・ポウ(納豆)?」と尋ねると、おばちゃんが「ポンイェージー」と答えた、ような気がした。「え、ポンイェージー?」うなずく二人。豆天国のようなシャン州で、乾燥や生の納豆、炒り豆、豆の発酵ペースト・ペーパチンなどには常にお目にかかっているのだが、平安時代の日本でも食されていたという「豆いろり」に遭遇したのは初めてである。こういうものがビルマにあるらしい、という情報しかなくそれがどんな形なのか、色なのかも分からないので、なかなか探すのはむずかしい。ビルマ語もほとんどできないし。
さっそく入手したそれは、茶色い水分少な目のペースト。なめてみると・・豆の煮汁を煮詰めたような味。味噌ほどのコクはない。しかし、乳酸発酵しているような酸味が少しある。どんなにおいしい調味料だろうと期待していた分、肩透かしな気分だが、しかし日本でもいろりはあくまで出しの素のような存在であったらしいので、こんなものかもしれない。
こちらではどのように食べるのか、英語の上手な宿のおかみのマ・トゥイに聞いてみた。「ポンイェージーはねえ、うちではポークや魚のカレーの仕上げに水でちょっと溶いてスプーン一杯ぐらい入れる。最後にね。おいしくなるのよ」「あとは、ポンイェージーの和え物もあるわね。ポンイェージーに玉ねぎスライス、香菜、チリ、ライム汁、ピーナツ油、塩を混ぜ合わせる。好みで生ニンニクのスライスを入れてもいい」「今日は昼にシャンカオスエ(シャン族風米麺)を作ってあげるから、ポンイェージーの和え物も作ってあげる」朝食付きの宿なのに、いつも朝食を食べないわたしと連れになんとかして色々物を食べさせようとするマ・トゥイだが、ついに朝はあきらめたらしく、朝ごはんの代わりに昼ご飯を食べさせてくれるという。なんて親切なんだ。
「ポンイェージーはどの豆で作るの?」「ペー・ポウ・シッだと思うけど。ソイビーンよ。ビルマのソイ・ビーンはすごく小さいのと中くらいのと大きいのとあってね。一番小さいやつよ」「ペー・ピザ、ホースグラムじゃないの?」「それ何? う〜ん、よく分からない。もともとポンイェージーはバガン地方の特産だから自分では作らないし」
シャン州の市場で何度もホースグラムの生の豆を探しているのだが、どういうわけか見つけられていない。市場で売られている生の納豆で使われているのは、どう見ても小粒大豆ではない小さな平たい豆だ。市場の納豆で使われている豆の名前を聞いても、やはりみんな「ペー・ポウ・シッ」と答える。納豆のビルマ語が「ペー・ポウ」で、「ペー・ポウ・シッ」とは大豆、ソイビーンと訳されるが、直訳すれば「納豆の豆」という意味である。
どうやら、シャン州の人々はホースグラムを小粒大豆の一種としているようなのだ。種類としては全く違う系統の豆なのだが、納豆を作る豆ということで、小粒大豆も使うし、区別する意味がないのかもしれない。
マ・トゥイが作ってくれたポンイェージーの和え物は、予測を裏切って、ポンイェージーがメインで食べる味噌、みたいなものであった。麺もあるのに白ごはんも出してくれて、「ごはんと一緒に食べるのよ」と。味は、う〜ん、さっぱりした付け味噌みたいな・・。おいしいような気がする・・。あると、ごはんがすすむかな。
豆の煮汁、というのはじつはけっこういい出しになる。豆をよく食べるようになってから、それまで圧力鍋で煮ていたひよこ豆や花豆などを普通の鍋で煮るようになった。ひと晩水に漬けておけば、普通の鍋でもひよこ豆なら15分ぐらいで、青大豆なら7分もあれば歯ごたえを残していい感じに茹でられる。普通の鍋の方が、歯ごたえを残した茹で加減をするのが簡単なのに、いまさら気が付いたというわけ。
そして、圧力鍋で茹でた後の煮汁は苦みが出たりするのだが、普通の鍋でことこと煮ると、煮汁もおいしい。南インドのラッサムというタマリンドで酸味を付けたカレースープも豆を茹でたあとの煮汁を使って作るが、日本の家庭料理のカレーやスープの出しとして使える。大豆やひよこ豆の煮汁はタンパク質が多いので、泡だて器でかき混ぜると卵白代わりにメレンゲを作ることさえできるのである。手動でかき混ぜるのはかなり大変だが、ハンドブレンダ—で濃いめの煮汁をかき混ぜてみれば、えっと驚く変化である。ベジタリンの方には砂糖を加えてオーブンで焼けばメレンゲにもなるし、卵白代わりにシフォンケーキだって出来るはずである。
豆の煮汁をいろいろ活用するときに気を付けたいのは、豆を茹でる前にひと晩漬けて置いた水は捨て、新しい水で茹でることである。生の豆には動物の消化を阻害する毒成分が含まれていて、動物に食べられるのを防いでいる。水に浸って発芽の準備を始めると、この毒成分は水分中に溶け出ていくので、その水は必ず捨てることである。
ポンイェージーのように豆の煮汁をとことん煮詰めなくても、豆を茹でたあとの煮汁を使って、みそ汁でもカレーでも作ればけっこうおいしくできてしまうので、ぜひお試しください。
もうしばらくしたら、この町ともお別れだが、帰る前にたくさんの炒り豆と乾燥豆を買って帰ろう。直径7ミリぐらいの小さなひよこ豆の炒り豆が一番のお気に入りだ。