アジアのごはん(44) 旅行に醤油と納豆

森下ヒバリ

しばらくタイとインドを旅してきたのだが、その出発のすぐ前に瀬戸内海の小豆島に一泊だけ行ったのである。小豆島というと、風光明媚でオリーブの木が至るところに生え、オリーブ園があり、オリーブオイルや化粧品、オリーブ飴にオリーブアイス、オリーブゆるキャラ人形までが売られている、オリーブで有名な島なのであるが、じつは醤油醸造所が二十軒もあり、醤油やもろみ、さらには醤油ソフトクリームに醤油プリン、醤油ドーナツまで作られている醤油の町でもあった。

せっかくなので、いつでも予約不要で工場見学が出来るというヤマロク醤油を訪ねることにした。石垣塀に囲まれた細い道をくねくねと通ってたどり着いたその醸造所は、こぢんまりとした古い農家のような佇まい。案内を請うと、気さくに蔵を見せてくれる。蔵の中に入ると空気は一変し、濃厚な菌の気配。古い大きな杉たるの外側も、壁も、柱もびっしりと白い菌叢に覆われている。ここの醸造所は百五十年の歴史を持っているという。この濃密な蔵の空気を吸っただけで、「ここの醤油、ぜったいおいしいで・・」と確信する。見学の後、ここで作っている何種類かの醤油を味見させてもらう。「う、うまい!」思わず何度もぺろぺろ。一度仕込んだ醤油を塩水代わりにもう一度大豆と麹を加えて仕込む「再仕込み醤油」がしみじみとおいしい。一緒に行った友人たちと醤油を買い込み、ヤマロク醤油を後にした。

その後、宿に向かう途中に、もう一軒醤油工場があったので、醤油の味見だけさせてもらった。「お味どうですか〜?」「あ・・(ちっともおいしくない)」そこもわりと有名な醸造所だったのだが、ヤマロク醤油の後では、ただしょっぱく感じるのみ。

翌日、帰りのフェリーに乗るため坂手港へ向かって車で走っていると、それまで通っていなかった道沿いに、次々と醤油の醸造所や醤油倉が現れた。うわ、こんなにあったのか。「この蔵の醤油、ぜんぶ味見してみたい〜!」と騒いでみるも、「もう時間ないからね〜」と通過。ああ、日本の旅はいそがしい・・。

そして、すぐにタイに行ったのだが、今回のタイ旅行に納豆をたくさん持っていったワタクシは、さっそく三日目にして納豆をかき混ぜ、「そうだ、マーシャのお土産にと思って持ってきたヤマロク醤油の小瓶があったやないの!」「え、せっかく持ってきたんやからあげたら?」「いや、この納豆にかけたら、めっちゃうまいと思うで」「そうやなあ」と、急遽お土産にあげるのをやめて封を切り、たらりと納豆にたらした。タイで売っている日本の醤油はあまりおいしくない。いや、はっきり言ってまずいです。とくにタイやマレーシアで生産している醤油は豆かすの臭さが鼻につく。なので、安い醤油を使うタイの日本料理屋の味は独特の豆かす臭さがある。

ヤマロク醤油で食べた納豆のおいしかったこと。はあ。その後、インドの旅からよれよれになってバンコクに帰り着き、バンコクの伊勢丹デパートのスーパーで買った日本製の納豆にヤマロク醤油をかけて食べたときには、泣きそうになりました。納豆添付のたれもなめてみたけど、味の素臭くて甘くて気持ち悪いので捨てた。
「おいしい醤油を持ってくると、いろいろおいしく食べられるねえ」「ほんまやなあ、なんでいままでそのことに気づかへんかったんやろ」これまでは海外旅行中に醤油がなくても平気だったからなのか。一度気づいてしまうと、もう戻れない。こんなおいしい醤油を知ってしまうと、もう戻れない。どうしてくれるヤマロクさん。

ちなみに、胃がもたれているとき、元気がないときに納豆を食べるとよくききます。かの発酵食品の権威である小泉武夫センセイは世界中を飛び回ってたいへんな量の食べ物を毎日胃に入れておられるが、その元気さと脅威の胃袋の秘訣は「納豆」にあるという。外国旅行にも必ず納豆を何十パックも持参し、長い旅には乾燥納豆を持っていくとか。ちょっと危ないかな〜と思うものを食べたときにも二パックぐらいずるずると食べるとだいじょうぶ、とか。

小泉センセイの「納豆の快楽」を読んで、そうか納豆を旅に持っていけばいいんだ、とはたと気がついての今回の納豆持参旅、日本食スーパーでさらに追加に買ってしょっちゅう食べるということをしていたが、なかなかいいものでした。インドにも持っていけばよかった。さすがに中級ホテルでも冷蔵庫がないのがふつうのインドには、ちょっと持っていく勇気がなかったのでした。移動も多いし。そうだ、次は乾燥納豆を持って行けばいいじゃないか。でも、あのぬるぬるがウレシイんだけどね。