アジアのごはん(58)タイピンの砂煲飯

森下ヒバリ

宿の向かいの年季の入った茶室で、連れと朝のお茶をする。カスタード入りの中華まんもひとつ。紅茶やコーヒーのカップがレトロで渋い。緑色の絵が付いたこのカップ、マラッカの骨董屋で売っているのを見た。マラッカの古いショップハウスを改造したヘリテージホテル、ホテル・プリでもこのカップを使っていた。この店のは、一体いつからどれだけ使っているのか。店の主は華人の白髪じいさん。

マレーシアをマラッカから北上してクアラルンプール→イポー→パンコール島を経て、ここタイピンへと旅して来た。店の一角には、幾つかの七輪と積み重ねられた小さな土鍋、漢字で「砂煲飯」と書いてある段ボールの張り紙。「SAPHOHAN 5RM(リンギット)」とも書いてある。「‥あれはたぶん広東系の釜飯やと思うわ」「え、食べたい!」夕ごはんはこの店で決まりだ。店を出ると、正面にわれらが宿の北京ホテルが見える。

北京ホテルは1927年築のまさに「天然」ヘリテージホテルである。実態は古い年季の入った旅社(中華系の簡易宿)なのだが、単なるボロな安宿ではなく、ほとんど改築せずに建築当時の様子がほぼ保たれているのだ。もともとはタイピン(太平)華人のサロンであったが、のちに旅社となった。ファサードのりっぱな二階建ての一軒家で、白く塗られた壁、すり減った木の床、チークの黒光りする階段、幾何学模様のタイル、ところどころに埋め込まれた装飾タイルが美しい。通りの向かいから眺めると、あれ、右の奥の屋根の瓦がちょっと崩れかけている‥。まあ、うちの部屋の上じゃないから、いっか。

二階の、ちょうどファサードの真上に当たる部分は共用の広間になっていて、テーブルやイスが置いてあり、三方に向いた窓がついている。古びた木枠の窓に嵌っているのは黄色と緑と青の古い模様ガラス。あ〜、この窓ごと持って帰りたい。なんという愛らしさだ。「お、気持ちいい〜」連れが乱暴にガタガタと窓を開け放つ。「て、ていねいに開けないと! 窓枠ごと落ちたらどうするの〜」窓の向こうにタイピンの街並みが広がった。ちょっと南洋を愛した金子光晴の気分だ。

あんまり古い宿は、好ましくない雰囲気が漂っていることも多いのだが、ここは大丈夫。宿のスタッフもあっさりと感じが良い。もっとも水回りの設備の老朽化や窓のがたつきなど、人に宿泊を自信持っておすすめできるレベルでは到底ない。でも骨董好きとか古い建築好きな人には見学してみてほしい宿である。

朝のお茶のあとは、街の散歩だ。あちこちに現代風の建物はあるものの、旧市内は基本的に古い南洋華人式ショップハウスで出来ていた。もう、歩きながら建物に気を取られて、キョロキョロしっぱなしである。あ〜楽しい。今風に改装したり、ピントはずれにオシャレにしたりしていない。昔のままの建物を普通に使って、生活しているところがいいんだな。

南洋華人(海峡華人とも呼ぶ)というのは、14世紀ごろから広東や福建、潮州などの華南地方から東南アジアに移住してきた中国人のことである。財を成した彼らが建てたのは中国風と西欧建築のミックスしたレンガ造りの丈夫な建築物で、マレーシアのマラッカ、イポー、タイピン、ペナン、などではその建築物がいまもたくさん残り、使われている。

ショップハウスは一階の間口が狭く、ウナギの寝床のように奥の深い建物で、何軒もつながって建っている。一階は商店や事務所として使い、二階が住居。通りに面した面積で課税したためにこういう造りになったというのも、京都の町屋とそっくり同じである。

ペナン島のジョージタウン旧市街が世界遺産になったのは、家賃統制が長く続き、店子が何世代も動かずに居住しつづけ、取り壊しを免れた歴史的建築物がほぼ町ごと残ったためである。こういうシックな海峡華人建築はタイにもあったのだが、ほとんどが取り壊され、わずかに痕跡を残すのみとなっている。同じく、色つきガラスの窓を持つ、和平飯店・ピースホテルという旅社もあった。壁にはかわいい装飾タイル。1930の文字。ここの一階は大きな茶室である。あんまりおいしそうな気配はなかったので、次のブロックまで歩いていくと賑わっている茶室があった。

店は「太平豆水茶餐室」という名前で、文字通り豆乳ドリンクが名物のよう。白い液体に黒い豆などが入った甘そうな飲み物が運ばれていく。茶室というのは食堂ではあるが、店自体は飲みものだけを扱う。店の表や一角に食べ物屋台が場所を借りて店を出し、茶室のテーブルで客が食べる、というのがマレーシア中華食堂方式だ。この茶室には、マレー系のおかずかけ飯屋、中華系の鶏飯屋、そして経済飯という中華系のおかず屋が軒を借りている。連れは鶏飯、わたしは経済飯にしよう。経済飯もおかずかけごはんで、皿にまず白いご飯を盛ってもらい、トレーに入れられた何種類ものおかずの中から自分で好きなおかずを取ってごはんの上にかける。おかずをかけたら、その皿を会計係に見せると、量を見て値段を紙に書いて渡してくれるので、その金額をあとで払う。タイでは、一種類いくら、二種類のせていくらと値段が決まっていて店の人がごはんにおかず載せるのがふつう。タイよりもこの経済飯システムの方が、肉を入れないとか、ナスたくさんとかいろいろ自由度が高くていいな。ナスとひき肉あんかけ、キャベツ炒め、卵焼きをのせて4.5RM。タイよりちょっと高めだ。ふむふむ、おいしい。飲み物は砂糖もミルクも入ってない紅茶のテ・オ・コソンを頼む。ちょっと豆水にも心ひかれたが、汗をかいてへとへとの機会にとっておこう。

タイピンの街を歩き回って、いよいよ夕食。やってるやってる、七輪の上に片方だけ持ち手のついた土鍋がのって、湯気を立てている。メインの具は鶏肉だが、塩魚とシイタケもオプションであるので、鶏肉は入れず塩魚とシイタケにしてもらう。店では先客のじいさんが、ひとりで黒ビールを飲んでいた。お、この店ギネスがあるんだね。南洋華人はギネスがお好きである。東南アジアで売っているギネスはマレーシアに工場がある。茶室のじいちゃんにギネスを頼み釜飯が出来るのを待つことにしよう。

釜飯の他にも何か食べたいな。釜飯屋さんの張り紙に「豆芽」「青菜」と書いてあった。あとは何もない。見ていると、鍋にもやしを入れて茹でて皿に盛っている。そういえば、どこかでイポーはもやしが名物、という話を聞いていた。イポーから1時間半のここタイピンでも同じかもしれない。注文すると、すぐに茹でもやしが出てきた。茹でもやしに醤油味のタレがかかり、カリカリ玉ねぎの揚げたのがのっている。あつあつのもやしに箸をのばす。もやしがおいしいので有名、というのも何だかピンとこなかったが、ここに至って納得。タレもいいが、もやしがウマイ!

そうこうするうちに、釜飯が運ばれて来た。ふたを取ると、う〜ん、いい匂い。中国醤油で茶色く染まったご飯の上に卵が一個ぽんとのっている。まさに炊き立て中華釜飯。おこげが大好きな連れは、幸せそうにちりれんげを口に運んでいる。昼間、古い建築やそこに使われているガラスやタイルを飽きずに眺めているわたしもこんな顔をしていたのかな。おこげの付いた香ばしいご飯を噛みしめながら、一日が終わっていくことも噛みしめているよう。

じいちゃん、ギネスもう一本! 明日はペナンに行く。旅は続くよ、どこまでも。