メキシコ便り(11)

金野広美

7月3日、メキシコ・シティーのメトロポリタン劇場でチリのフォルクローレグループ、キラパジュンのコンサートがあり、前から2番目の席がゲットでき、聴きにいきました。彼らは1970年、チリにおいて、世界で初めて選挙による社会主義政権が誕生するための人々の意識をつくったヌエバ・カンシオン(新しい歌の運動)の担い手たちで、1973年、ピノチェットによる軍事クーデターの時に、たまたま外国公演をしていたため、アジェンデ大統領やビクトル・ハラのように殺されずにすんだ人たちでした。30数年前、彼らが京都に来たとき初めて彼らの歌を聴き、「エル・プエブロ・ウニード・ハマ・セラ・ベンシード」(団結した人民は決して負かされることはない)というスペイン語の掛け声とともに歌うその力強い「不屈の民」に感動し、私はラテンアメリカ大好き人間になってしまったのでした。そしてそれが嵩じて今ではメキシコでスペイン語を勉強しているわけです。

3200人は入るというその劇場はほぼ満員で、冒頭からスタンディング・オーベションではじまったのにはちょっとびっくりしてしまいました。やはりメキシコの観客は熱い! いつもながらの黒のマントをまとったキラパジュンは頭が真っ白になっていましたが、その歌声はあの時のままでした。まさかメキシコで彼らに再び会えて、一緒に「不屈の民」を歌うことになるなどとはおもってもいなかったので、とても不思議な縁(えにし)を感じてしまいました。そんな彼らが第一部で歌ったのが「イキーケのサンタマリア」という45分に及ぶカンタータで、これはチリの北部にあるイキーケという街で1907年、12月21日、待遇改善を訴えてデモをしていた硝石工場の労働者やその家族にロベルト・シルバ・レナルド将軍率いる軍隊が発砲し、2000人余りが死んだという史実に基づいて、イキーケ出身の作曲家ルイス・アドビスがキラパジュンのために作曲したものです。古いデモなどの写真スライドと女性の朗読、そしてキラパジュンの歌声が創り出す世界は1902年から1908年までひんぱんにチリで起こった硝石工場労働者と軍隊との衝突の歴史の悲惨をあますところなく伝えていました。私はこの作品を聴いたとき、イキーケに行ってみたくなり、長い夏休みを利用して、アルゼンチン、パラグアイ、チリとまわることにしました。

7月7日、夜11時05分、飛行機は真夏のメキシコ・シティーを飛び立ち、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに8日昼の1時過ぎに着きました、こちら南半球は真冬、相当の寒さを覚悟していましたが、日差しは明るく、とても気持ちのいい秋のような風がブエノスの街を吹き抜けていました。ここブエノスはカジェと呼ばれる通りやアベニダと呼ばれる大きな通りが碁盤の目のように張り巡らされ、どのような小さな通りにも名前があり、とても歩きやすいところです。にぎやかな大通りをポルテーニョ(ポルトは港のことでブエノスアイレスの港っこの意味)と呼ばれる人たちがさっそうと歩いています。眠らない街、ブエノスアイレスは一晩中タンゲリアと呼ばれるタンゴのライブが聴けるレストラン、バーが立ち並び、カルネ・アサードという骨付き肉のステーキや、エンパナーダスという肉入りパイが安く食べられるレストランがたくさんあります。土曜日の夜などは、映画館通りの別名があるラバージュ通りでは10数軒の映画館が一晩中映画を上映し、家族連れでにぎわいます。このように楽しく遊ぶのには事欠かないブエノスですが、私の最大の目的はタンゴを見ることと、習うこと。ここではタンゴショーを見せて、かつ、踊りのレッスン、食事、送迎付き、などという店もあると聞き、いろいろ歩いて探してみることにしました。ところがこんなに込みこみは結構高いのです。特に食事つきだと値段がはねあがります。

豪華な食事はいらないし、見ると習うはやはり別々の方がいいかも、と思いつつ歩いていると、倉庫のような場所の入り口にレッスンの張り紙を見つけました。グループレッスンが1時間10ペソ(約330円)とあります。これは安い。日本だと最低でも2500円はします。さっそく中に入るとひとりの小柄なおじいちゃんが、奥の方ににちょこんと座っていました。実はこの方アルマンディートさん、81歳が先生でした。私がタンゴを習いたいと言うと、個人レッスンから始めましょうということで、1時間50ペソ(約1650円)だと言われました。これもまた安い。途中疲れたでしょうと何度もお茶をすすめてくれ、結局1時間半レッスンを受けました。その日はわけがわからないまま、基礎の足裁きを習いました。次の日はさらなる足裁きと、女性は常に男性の動きをまたなければならない、ということを何度もいわれました。そして腕を組んだ瞬間、男性の腕から女性の腕、そして体、足へとエモシオン(情熱)が流れていくのだと教えられました。うーん、なるほど、これがあの疼きをともなった、とろけるようなタンゴの真髄なのかと、ひとり感心してしまいした。アルマンディートさんはお年を召したおじいちゃん先生にもかかわらず、腕には筋肉がしっかりとつき、背筋をピシっと伸ばし、私の重たいからだを支えて踊られるのにはびっくりしました。そして、そのあとのグループレッスンも受けたのですが、そこでのモニカ先生との踊りはセクシャルで、とても81歳には見えない若々しさでした。本当はここで沈没して、ずっとタンゴを習っていたかったのですが、イグアスの滝もどうしても見たかったので、後ろ髪を引かれる思いで、次の日、3度目のレッスンを受けてから夜行バスで18時間のプエルトイグアスに向かうことにしました。先生は、こんどはいつブエノスに帰ってくるのかと、抱擁とキスで別れを惜しんでくださいました、写真を撮らせて欲しいというと、白いマフラーと黒の帽子をとりだし、ポーズを決められました。その姿は本当にかっこよく、まさに伊達男でした。