メキシコ便り(26)

金野広美

中米4国から帰ったあと、今度はベネズエラ、コロンビア、エクアドルと南米の北方に位置する3国を回りました。まずメキシコからベネズエラの首都カラカスへ。飛行機がカラカスに着くのが深夜の0時5分。今までホテルは予約などしたことがなかったのですが、時間が時間ですし、外務省からはカラカスに危険度1の注意喚起がされているので、予約だけはしておこうとメキシコからホテルに電話を入れたのですが、これが大変でした。というのはガイドブックには60ドルと価格が表示されているホテルなのですが、料金をきくとこの国の貨幣単位のボリーバルで380ボリといわれました。ドルに換算してくれるように言うとこれがガイドブックとはまったく異なり3倍くらいの180ドルという額になるのです。おまけにボリーバルも普通のボリーバルとボリーバルフエルテ(下2桁の0をとった数え方)の2種類の言い方があり、そんなことを知らない私は何軒か電話をする内にすっかり混乱してしまい、予約ひとつ満足にできませんでした。

しかし、ちょうどその時、家に来ていた友人がベネズエラに友人がいるということで宿の予約とタクシーの手配を頼んでくれました。しかし、まだ問題がありました。深夜なので両替のための銀行はあいていませんし、タクシー代はドルではだめだというのです。うーん困った。私はドルで払えるものと思い込んでいたのです。そこで丁度、私のメキシコの友人からベネズエラにいる彼女の友人にテキーラを届けるようことずかっていたので、その人に相談しました。するとその彼が深夜にもかかわらずホテルの前で待って両替をしてくれることになり、なんとか無事に入国できそうになりました。やれやれです。もうこれからは少々安くても見知らぬ土地の空港に深夜に着くような便には2度と乗らないようにしなくてはと大いに反省した次第です。

当日、飛行機はきっちり0時5分にカラカスに着き、無事ホテルで1泊。一夜明け、ホテル代381ボリを支払わねばならないのにお金が足りません。カードで払えば日本円で18000円位になってしまいます。なぜならベネズエラは公式には1ドル2.15ボリーバル・フエルテですが、実際はブラックマーケットがあり、1ドル5.6から6.3ボリーバルなのです。

ガイドブックに書いてあったホテル料金は闇レート価格でのドル表示だったのです。しかし、普通の両替商や銀行は旅行者には公式レートでしか両替してくれませんし、あらゆるものの値段はどう考えても闇レート価格が妥当なのです。ここはなんとしても闇レートのボリーバルを手にいれなくてはと思い、彼に闇で両替をしてくれるところはないかと聞いてみました。すると彼は噂だけですが、と断わって、ある中国食材店を教えてくれました。

私はさっそくバスを乗り継いで行ってみました。やっと探し当てたその店は住宅地の奥にありました。若い店員に「店主はいるか」と尋ねると、刺青をした、なにやら怪しげなあんちゃんが「何の用だ」と出てきました。私が「両替をして欲しい」というと、店の奥の暗い倉庫に連れて行かれました。なんだかやくざ映画のワンシーンみたいで少しドキドキしましたが、200ドルを1200ボリに替えてくれました。やったー、これでやっとホテル代が払えます。それにしてもベネズエラは個人旅行者にはあまりにつらすぎる国です。

ここ最近この国の貨幣価値はじりじりと下がり続け、ボリーバル紙幣はだんだん紙切れに近づいています。ドルでは受け取らないといわれていたタクシー運転手は、本当のところはドルで欲しかったみたいでしたし、あるベネズエラ人からも秘かにドルをもっていたら両替して欲しいと声をかけられました。この国では外貨の持ち出しも持ち込みも禁じられているため表だっては決してドルを流通させてはいけないことになっていますが、裏ではしっかりドルが幅を利かせ、その力は増しているようでした。

両替するだけですっかり疲れてしまったその日の夜、夜行バスでマシーソ・グアヤーネス(ギアナ高地)への拠点になるシウダ―・ボリーバルに行こうとバスターミナルに切符を買いにいきました。切符売り場は長蛇の列。82ボリといわれ90ボリ出しておつりをもらおうとすると、売り場の女性はいかにも売ってやっているといった横柄な態度で「おつりは今ないから45分待て」というのです。「えー45分、どういうこと」とびっくりしてしまい、「私が他の人に両替を頼みますから10ボリ返してください」というと、彼女は「それなら今売った切符を返せ」とえらそうに言うのです。客に対しての失礼な態度にすっかり嫌な気分になりながらも、並んでいる客の列に両替をたのみました。するとひとりのおじさんが「いくら足りないの?」と聞いてくれ、「2ボリです」と答えると「これをあげるから使いなさい」とお金をくれました。彼女の態度に頭にきていたのですが、これで少しは気持ちも和らぎ、ありがたくいただきました。それにしてもあの売り場の女性の態度は日本ではちょっと考えられないですよね。

その夜9時に出たバスは翌朝6時にシウダー・ボリーバルに着きました。バスターミナルにある旅行会社でギアナ高地へのツアーを申し込み、その日はゆっくりとこじんまりとした町を歩きまわりました。シウダー・ボリーバルは人口27万人のベネズエラ有数の都市で広大なオリノコ川が流れ、平均気温は30度。人々が川岸でビール缶片手に涼をとっています。私も川風に吹かれながらビール売りのおばさんとぺちゃくちゃと話しこんでしまいました。

次の日、飛行場から5人乗りのセスナ機で1時間半、ギアナ高地への入り口になるカナイマに到着しました。カナイマは人口2500人の小さな村で、いまでも原住民族ペモンが多く住み、道行く人々はみんな挨拶をかわしながら歩いているという、なかなかのどかで平和な感じのする村でした。飛行場には若いガイドが迎えに来ていてそのままジープで船着場に行き、細長いボートに乗り込みました。ここからカラオ川、チュルン川を4時間あまりさかのぼり世界一の落差983メートルのサルト・アンヘル(エンジェル・フォール)を目指すのです。

ギアナ高地の総面積は日本の1.5倍。ここにはこの地だけに生息する食虫植物のヘリアンフォラをはじめ原始の形をとどめた珍しい動植物が多くみられます。いまだに人が足を踏み入れられない前人未踏の場所も多く、「太古の歴史をもつ世界最後の秘境」ということで、日本でもしばしばとりあげられています。地球は最初はひとつの大きな大陸でした。およそ2億5000年前に始まった大陸分裂の際、ギアナ高地はちょうど回転軸のような場所にあたり、移動することなく留まりました。他の大陸は何度も気候変化の影響を受け変形していきましたが、ここはずっと熱帯気候だったため大きな変化を受けず2億数千年前から変わっていないのです。地質は地球上で最古の部類に属する花崗岩でできています。それが2億数千年の歳月の間にやわらかい部分がはぎとられ硬い岩盤だけが残ったため、その姿は垂直に切り立ち、頂上はまるでテーブルのように平らになり、テーブルマウンテンとよばれているのです。

ここには100あまりのテプイ(ペモン人の言葉でテーブルマウンテンのこと)があり、そのなかでもサルト・アンヘルが流れ落ちるアウヤンテプイは広さ700キロ平方メートルにもおよぶ大きなものです。船着場を出たボートは13人のツアー客をのせカラオ川をゆっくり進みます。この川の水の色はまるでコーヒーのようなこげ茶色をしています。これはジャングルに生い茂る植物から出るタンニンが川に流れ込んでいるためです。はじめのうちは広くゆうゆうとした穏やかな流れが、進むにつれて急流になってきました。瀬が多くなり、まるでコーヒーがぐつぐつと沸き立っているかのようです。

ガイドのアントニオは先頭に座り客に、「もう少し右によれ」とか「ボートのへりに手をかけるな」だとか細かく船の重心をとるために指示をだします。真剣な表情のアントニオの細かすぎる指示は、かえって乗客の危機感をつのらせ、だんだん怖くなってきました。彼は大きなごはん杓子のようなオールで右に左にと細長いボートを巧みに操っていきます。大きな岩がたくさんある細い場所を通り過ぎる時など、船がひっくり返りそうで生きた心地がしませんでした。最初はわいわいとにぎやかにしゃべっていたフランス人のおばさんたちも次第に無口になり石のように固まってしまいました。4時間15分をかけ、サルト・アンヘルの近くのラトン島に着きました。ここはキャンプ地なので今夜はハンモックで寝なくてはなりません。ゆらゆら揺れながらすぐ眠れましたが、同じツアー客のイラン人のアレックスのすごすぎるいびきには何度も目がさめてしまいました。

睡眠不足の次の日、朝早くキャンプを出発しサルト・アンヘルをめざしましたが、この登山道が大変でした。ジャングルの中はごろごろ石と大きく根をはった木々の根っことでとても歩きにくく本当に疲れました。しかしあえぎながらも滝にたどりついた時は思わずその特異な滝の姿に目を見張りました。この滝は983メートルもの高さから落ちてくるため途中で水がすべて霧になってしまい滝つぼがありません。上方は雲におおわれた滝なのですが途中からはもやだけががたちこめています。世界最長ということで特に有名なのですが、その姿もとても珍しいものでした。その日は天気もよく最初かかっていた雲もしばらくすると晴れ、はっきりと全景を見ることができ、とうとうたどりつけたのだという感慨でちょっと胸が熱くなりました。

ここの見晴らし台はきちんと整備されたものではなく、大きな斜めになっている岩に登って滝を見るのですが、すぐ下は断崖絶壁。「ここから落ちて死んだ人もいるから気をつけろ」とガイドのアントニオがまたもや脅します。彼はガイドになって1年、決して笑い顔を見せない若者で純粋のペモン人だそうです。「なぜちっとも笑わないの?」と聞くと「僕には責任があります。それにここにくるのは年配の人が多いですし」と答えました。そういえば13人のツアーの中でも若者は3人だけ。そんな中で私が最年長、いつもみんなから遅れる私を彼は気遣ってくれて手をさしのべてくれます。そうか、彼が笑い顔を見せないのは私のせいでもあるのかと、今さらながらですが気がつきました。どうもすみません。

ゆっくり滝を見たあとは下方を流れる川で水泳タイムです。遠くに雄大なテプイを眺めながら、さんさんとふりそそぐ太陽の中、冷たい小さな滝つぼの中での水浴びは最高でした。すっかり体が冷えたあとはまた川を下り、カナイマに戻りました。川の両岸に次々と現れるテプイはまるで大きな航空母艦のようだったり、ブルドックにそっくりだったりと、その形も大きさもさまざまで、いろいろなものに見えてきてとてもおもしろかったです。2億年ものあいだ変わることなく存在し続けているテプイ。威風堂々としたテプイを眺めながら、私は文明の進歩の名のもとに地球を壊し、ゆがめさせてしまっている人間たちをテプイは静かに見つづけながら、どのように思っているだろうかと、ふと考えてしまいました。