年度の上期を終えて下期に入りいろいろ面倒な仕事上の宿題を出し、とやっていたらもう十二月で、今年は東京で猛暑というものを経験し、二度と八月に東京など行かないぞと、誓い、九月上旬に東京に行ったらその思いいっそう強くなった。
でこっちは、もうすぐ十二月となったところで最高気温が二十五度、秋の装いをしている方々がすこしづつ多くなる中、昼間は半袖Tシャツ、夜たまに冷えると長袖Tシャツ。
選挙が終わったと思ったら来年に県民投票をやるとなると協力しない市長が出てきたりと相変わらずめんどうくさい土地ではある。戦争を体験した世代、復帰前と復帰後を知っている世代、復帰後しか知らない世代ばかりと思っていたら、今はより細分化されているようだ。
通勤途中に聴く音楽、「モントローズ」にしてみるとしばらくしてネットの音楽記事でサミー・ヘイガーがロックの殿堂候補に「モントローズ」が挙がるようキャンペーン中というのを目にする。「モントローズ」は彼にとって初のメジャー・デビューのバンド。でも、あのバンドのあの曲そのまんま、というのもがあるモントローズ。サミー・ヘイガー自身はヴァン・ヘイレンのメンバーで殿堂している。世の中の「ボヘミアン・ラプソディ」ブームとは別のところにいる。
十一月に四半世紀振り以上?、京都に行く。最後の京都は、今回の演奏会の主が演奏者として呼んでくれて以来、今度は裏方としてお手伝い。本番の前日に京都に入り、会場ですこしばかり音だしがあったので立会いその日は終わる。本番当日は午前中、時間が空いているので京都といえば寺社仏閣より三条堺町へ向かうべく堀川通りを宿の五条から三条へバスで移動する。堀川通りから烏丸通りへと三条を歩いて移動する。六角堂とかあったが行くべき目的地は「イノダコーヒ」。「コーヒーブルース」に出てくるところ。小学生の頃に家にあったレコードに「ごあいさつ」という高田渡のアルバムがあった。「イノダ」と「三条堺町」はその頃にインプットされた。アニメ・マニアの聖地巡礼と同じようなものだろう。京都といえば「三条堺町」と刷り込まれている。店に入ったとはいえ、コーヒーを嗜まない私、注文する飲み物もフルーツ・ジュースというのは自分の中でも憚られ、アイス・カフェオレを頼む。
中学生になり国語の教科書に掲載されている詩で覚えがあるものがあった。作者は吉野弘で「夕焼け」だった。これも「ごあいさつ」に高田渡が歌にしている。家に帰りレコードであらためて聴く。それ以来、家にある兄が集めたフォーク、ロックのアルバムのクレジットを見始めてから、ソング・ライター、アレンジャー、バック・ミュージシャンに興味を持つようになった。レッド・ツェッペリンの最初のアルバムはすべての曲で作曲者クレジットがメンバーの一部もしくはメンバーになっていたが、後からオリジナルはトラッドだったり、九月に亡くなったオーティス・ラッシュが歌ったウィリー・ディクソンの作品だった、と知るのは後々の話。
京都からもどり、翌日から通常の仕事にもどる。数日すると身体のあちこちがバキバキいいはじめた。