十月、はしりがき

仲宗根浩

休みの日の夕方、訓練帰りのF-15だろうか、やたらうちの近辺の空を飛んでいる。ここ何年か、飛ぶところを分散させている気がする。こどもは平気でその音の下、家に帰ってくる。

うちの娘、先月やっと六回目の運動会が終わったと思ったら今度は修学旅行。見事に水筒を忘れて行った。へこんできっと不細工な顔になっているだろう、と家に帰るともう寝ていた。水筒忘れてどうしたかは起きてから聞くことにしよう。ふたりの子供、重ならずに十二回の運動会終了。

九月の半ば、齋藤徹さんから沖縄にライヴで来る、というメールが届く。齋藤徹さんとは三十三年前に初台の「騒 がや」というころで知り合った。沖縄に来る前メールのやりとりしていたら当時のいろいろなことを思い出す。大学を卒業するとき、それまで箏を習っていた栗林秀明さんから、おれは面倒みないから沢井先生のところへ行け、ということで最初は忠夫先生、しばらくして一恵先生のレッスンを受けるようになり、しばらくすると栗林さんから「齋藤徹」という名前が出て、あの徹ちゃん(年上だけど)となり、一恵先生をはじめお箏関係の方々との交流が始まり、セッションしたり曲を書いたりいろいろなことを徹ちゃんやりはじめる。わたしが徹ちゃんと一緒に演奏したのは一回だけ。コントラバス奏者のバール・フィリップスさんが主宰した神戸の震災のイヴェント、場所は法政大学の学館ホール。その時のメンバーのひとりが出演できないためのエキストラだった。二十年以上前の頃とはお互いいろいろあり、姿、体型は変わっていたが待ち合わせていた場所ではすぐわかった。昔話、近況、あれこれ話をして、うちの車が融通が利くのでコントラバスと人を車に乗せ会場へ。場所は那覇では奇跡的に戦争の被害を受けなかった戦前からある森の中の墓。そんな中、久々にガット弦の音を聴く。演奏が終わり、食事をして空港まで楽器とともに見送った。

徹ちゃんのサイトは「Travessia」という名がついている。ミルトン・ナシミントの最初アルバムのタイトル。最初にミルトン・ナシメントのメロディーを聴いたのは中学生の頃、FMで録音したウェザー・リポートのライヴだった。ウェイン・ショーターのサックスソロで「Ponta De Areia」のメロディーを吹いていた。そのメロディを覚えていて「騒」でかかったウェイン・ショーターの「Native Dancer」でよみがえった。あとあと入手したそのアルバムにはギターでジェイ・グレイドンが参加しているのを知る。スティーリー・ダンの「Aja」で注目される二年前。「Ponta De Areia」は「Native Dancer」と同じ年にミルトンの「Minas」に収録されている。聴き比べたら「Minas」のほうのヴァージョンがだんぜん良かった。CD屋で働いている頃にミルトンのアルバムを集めた。EMI-ODEON、A&Mの時代のを揃えてたらやめた。「Travessia」はODEON時代の最初のアルバムのボーナストラックに入っている。揃えたEMI-ODEON時代のアビー・ロード・リマスタリングも二十年前の盤。

その翌週、映画を見に行く。単館上映なので那覇まで行く。映画は「ラヴ&マーシー」。東京より二ヶ月遅れての上映。客は十人くらい。映画を見て、エンドロールの左下の小さい画面の中でブライアン・ウィルソンがタイトルの曲を歌うところで涙が出てきた。ジェイムス・ブラウンの映画では本編、二つのシーンで泣かされてしまったが、エンドロールでまさかの涙。声が持つ魔法のようなもの。

十月最後の日、職場で見た新聞には横田配備のオスプレイの訓練が伊江島、と一面見出しに出ている。配備先と訓練場所を分けただけの負担軽減が続く。仕事帰り、いつも通るゲート通りは基地関係のひとたちでハロウィン騒ぎ。信号待ちで向こう側の歩道をながめていると、男が酔っ払った仮装姿の女の子をお姫様だっこして歩いてる。おい、パンツ丸見えだぞ、と言いたかったけど距離あるし英語でなんて言えばわからないし。