旧盆のあと

仲宗根浩

旧盆が終わり、翌日に帰る姪っ子たちを空港まで送る。送った帰り、姪っ子の親たちが首里にある金城の石畳を見たことがない、というので連れていく。こっちも来たのは二十何年ぶり。石畳を上ると途中、樹齢三百年のアカギと御嶽があったので寄る。木々のなか陽の光は遮られている。知らぬ間に手は蚊にいっぱいさされたあと。

その翌日は急に奥さんの実家に行くことになった。次の日の飛行機のチケットを手配しようとするが、どこも満席。仕方なく大阪伊丹の便を予約し、新大阪から新幹線で向かうことにする。こういうことはいつも突然やってくる。出発の当日、午前中には車で空港へ。八月になり何回高速を使っただろう。無料化試験中のため高速の利用者が増えている。ETC以外の入り口が混むことが多いがスムーズに行く。伊丹に着くと気温三十六度、新大阪からこだま乗り換えで名古屋に下りると夕方近かったが気温三十四度。沖縄より暑い。着いた先は浜松。来たのは四年ぶりくらいか。日も暮れかかっているがここも十分に暑い。数日の滞在、バタバタと用事を済ませこっちは先に沖縄に戻るため静岡空港へ向かう。浜松駅から新幹線で次の駅の掛川まで時間で十分ちょっと、窓の外の景色を見ると上の子供が生まれた頃の数ヶ月は毎週この景色を見ていたことを思い出した。田んぼ、お茶畑の緑色。掛川からバスに乗り東名高速に入る。牧之原を降りるまでの東名から見える景色も覚えがあるものだった。昔、何度も通った。

沖縄に着く。空港を出て駐車場までの連絡通路を渡るとき、向こうよりはいくらか涼しく感じる。車に乗り空港を出てしばらくすると高速に入る。相変わらず高速は車が多い。イチャンダ(ただ、もしくは無料)となるとだれもが使いだす。前の車はウィンカーを点けっぱなしのまま走っている。追い抜くと運転していたのはおじいだった。八月は何回イチャンダ高速を使っただろうか。

何年前からかこっちは学校が二学期制となり九月一日より前に中学校は始まっている。子供をたたき起こし、朝ごはんを作り学校へと送りだす。その後、ゴミだし、洗濯を済ませる。テレビで台風が近づいていることを知る。まだ実家にいる奥さんに連絡すると飛行機のチケットは予約したとのこと。戻る日を一日のばすように言う。台風上陸前の朝、学校は休校とテレビでテロップが流れる。午後以降の上陸だから、決定が早すぎやしないかい。お昼過ぎるとこっちは休みだというのに職場から呼び出し。台風に備えての養生のため職場へ行き、残りの作業、戸締りを済ませ、実家へ行く。少し背の高い植木類はほとんど前もって倒してあるが、さらに強くなった風のため倒れそうな植木を倒しておく。夕食を済ませる頃には台風の中心は名護を通り過ぎる。実家から自宅にもどる途中、アスファルトの道路の上を細かいしぶきが舞いながら走る。足元の風がひさしぶりによく見えた。