とっちらかった日々

仲宗根浩

ここ数ヶ月、小沢昭一「ものがたり 芸能と社会」という本を繰り返し借りていて、読んでいるとわたしがあちこち横道にそれ、全然読み進むことができないために何度も何度も借りている。「商いと芸能」という章でのテキヤさんのくだり、薬屋さんと芸能の関係、「ヤシ」は「薬師(やくし)」がつまった、という郡司正勝説についての記述、アメリカのメディスン・ショーに似ていること、以前、アメリカのギタリストでシンガー、ライ・クーダーがインタビューでメディスン・ショーについて言及していたのを思い出し、雑誌から切り抜いていたインタビュー記事を探し出す。山口昌男の本でもメディスン・ショーの記述があって、たしか文庫本で持っていたはず、とそれも引っ張り出す。バスター・キートンがメディスン・ショー芸人夫婦のあいだに生まれた文章で、幼い頃、1910年代のジャグ・バンドやブルースを含む音楽をキートンは間近にしていたのかなあと想像しながら、とちらかっているCDから戦前のブルースものを整理しつつ、いっしょに借りていた郡司正勝の「かぶきの美学」をちょこちょこ読んでいると、三味線音楽の官能性に書かれていている箇所で、官能性なら「さわり」だろう勝手に思い込み、今度は七月に神田神保町で買った、田辺尚雄「三味線音楽史」に琉球から日本に伝来した三味線にいつ頃から「さわり」がついたか確認する。頭の中がとちらかっている。小沢昭一の本にいつ戻ることができるだろうか。ほかにも読みかけが四、五冊あるけど。

読みかけは読みかけのままほっといて、整理していたCDの中でまだパソコンに取り込んでいないのを見つける。立派なオーディオ再生装置もないので、最近はパソコンでCDも聴いている。取り込もうと、ソフトを起動させるとアップデートしますか、と聞いてくる。新しいバージョンがでたらしい。素直にアップデートする。ソフト起動せず! おい! 別のマシンも同じようにアップデートしたら問題なし。おい! おい! 英語で「ちょと見つからないファイルがあるから、もう一度インストールしてやってください。」と表示が出たので、一通りのトラブル回避策を行い削除、再インストールを行うが現象変わらず。あちこちいじること数時間格闘するが、変化見られず。パソコンさんもお疲れだろうから、ここはひとつ休んで、明日にしましょう、と翌日、ソフトのホームページで同様のトラブルがないか確認。完全削除の方法があったのでそれを見つつ、なにか削除できていないファイルがないか確認したがなし。(あたりまえだよ、こっちは関連するレジストリ全部切ったし。)気をとりなおし、今度はダウンロード、インストールではなく、最初と同じようなアップデート・ソフトからインストールする。すんなりインストール完了、すんなり起動。問題なく稼働。意味わからん。パソコンに取り込み再開。次はボックスセットのCDを整理しようと思い、1940年代のブルース、ブギなどを集めたCDを聴きながら、ピアノ、ギター、ベース、ドラムの4リズムでのセッションでギター・ソロはシングル・ノート、ノリはロックンロール。録音年を確認したら1948年。アイク・ターナーが「ロックンロールは俺たちがブギウギと呼んでいた音楽だ。」というような発言を何かで読んだ記憶があったので家にあるか探そうとおもったが深みにはまりそうなのでやめる。はやく部屋を整理してくれ、と最後通牒を受けたばかりだ。

数年間いわゆる「IT 業界」というところにいたが、年々、コンピュータが苦手というか、面倒になってきている。一つのソフトを使い倒すことができない、覚えることができない。パソコンは五台あるが実際動いているのは三台。メール用、インターネット用、音楽再生用。ハードディスクの容量が小さいのでそれぞれ分けて使っている。一台は壊れたものを貰い、他は格安で購入。OSも、マシンパワーも違う。他に一台、OSが古いものはメールのバックアップ用に月に一回くらい起動している。二十年近く前、最初に購入したマシンは埃をかぶっている。三年ぶりくらいに起動するか試した。専用の外付けハードディスクの電源を入れ、本体の電源を入れる。ケーブルが焼け焦げる臭いとともに、ハードディスクの横から煙が出てきた。