東京詩片

管啓次郎

【駿河台】
この坂はギターの森
音を鳴らそうと待ちかまえる
よく磨かれたボディたちは
どんな遠くから旅してここに集結したのか
きみは北米のメイプル
きみは中米のマホガニー
きみはハワイのコア
きみはアフリカのローズウッド
木々がとどめる記憶が
音の環となってはじけ飛ぶ
覚えていることを話してみてよ
獣や鳥はどんなふうだった
樹冠に住む昆虫たちは
星の光に反応したの
倒れて湖底にねむっているあいだ
きみはどんな夢を見ていたの


【渋谷】
黄色い地下鉄が空につきささると
忙しい谷間がひろがった
天体観測の練習とか
銀幕のゴーストたちのためによくここに来た
谷底を流れるのは虹を生む小川
右へ左へ何度でも流れをわたって
魂のような蛍を集めて遊んだ
片耳の折れたおとなしい秋田犬が
どこまでもついてくる
VIA PARCO というがここにイタリア人はいないね
香港人のチャーリーがぼくのともだち
一緒に坂をあがって区役所に行けば
巨大な魔物のようなボーイ・ジョージが
うたいながら踊っている
その先の草原では
見えない兵士たちが互いを敵として戦っている


【駒場】
「本を読むと決めたのだから」と友人がいって
彼は授業に来なくなった
ぼくは考えもなくぶらぶらと
スケートボードで通学していた
馬はどこにもいない
人間ばかりでどうもつまらない
仕方なくグラウンドをぐるぐると走ってみた
走るのは自由
立ち止まるのも自由
でも自由意志なんてそもそもないのかも
革のジャケットを着たギリシャ哲学者が
アメリカの黒人女性歌手の話をしていたのが
大教室で聴いた最後の講義
「モイラ」という単語が耳に残った
ひとりで校舎の屋上に出て
ギリシャの太陽を浴びながら昼寝した


【下北沢】
電柱に手書きの紙が貼ってあった
探し猫かと思ったら詩だったのでびっくりした
「ぼくの猫のナミなのだ」という最後の一行が
頭から離れなくなった
そのころは一日一冊本を読んで
読み終えると「幻游社」に売って別の本を買った
知識は心を流れてゆくだけ、何も残らない
それでもいろいろな考えが
少しずつ色合いを変えてゆく
「バンガロール」でカレーを食べながら
そこはどんな都会なんだろうと想像した
大柄なご主人と、若いころは
女優だったかもと思うような奥さん
老夫婦の小さな店だった
すべての店は必ず店じまいするのが商売の掟
ただ思い出の夕方のような光だけが残り


【青山通り】
路面電車が走っていた時代は知らないな
宮益坂を上がりつつ古本屋に寄り
文字にぶつかるたび心が千々に砕けて
難破船のように逃げ込むのはダンキンドーナツ
ここで何時間もフランス語を勉強した
ヘミングウェイがいう「清潔で明るい場所」とは
ぼくにとってはドーナツ屋の
フォーミカのカウンター
想像力の訓練にはもってこいの環境だ
外は雨、快晴、雪、くもり
青山通りは光のあらゆるグラデーションで
心を励ましたり翳らせたりする
まだこどもの城のできる前で
空き地は都営バスの駐車場だった
カセットテープの音楽を鳴らしながら
フライングディスクのネイルディレイを練習した


【吉祥寺】
金曜日には吉祥寺に集まって
ピンボールの勝負をする
ブラックナイトは画期的なデザイン
上下二面に分かれた構成で
四つのフリッパーで球を打つんだ
ゆらしてはいけない
It’s so sensitive, you know.
球を止め狙って打ち上げるのが
至上のテクニック
左上のポケットに球が三つたまると
特別なパーティーの始まりだ
乱舞する三つの球に
アドレナリンが全開
こうなるともう止まらない
どんどんクレジットが増えてゆく
ぼくのことはpinball wizardと呼んでくれ