犬狼詩集

管啓次郎

  91

農村を異世界とする生き方に切実な限界を感じた
夕方になって湖と鉄道の駅がやっと見つかることがある
その団体は非合法であるときだけキラキラ輝いていた
あの山が父あの山が母と長い髪の女歌手がつぶやく
島にわたった時ついザリガニのサラダを食べ過ぎた
Birthday Libraryという巨大アーカイヴに明日からこもる予定だ
受ける側が虫眼鏡を使わなければ詩に火がつかなかった
都市のモラルを商業から解放することが必要でしょう
民話と精神分析を語る彼はどうもいつも話が浅かった
忍者ガール対ヤンキーガールという演劇を本気で商業的にやっている
影そのものが空中を飛んでいることで鳥が驚くのがわかった
アストロボーイの不安はいつもいつも敵の不在のせいではないらしい
記憶としての私は本になったがあまりに落丁が多かった
レミングの群れの自殺を有名にした映画をどこかで観たいと思う
川に印画紙を沈め釣竿でフラッシュを焚いて流れそのものを映した
国の分割は一種のフィクションだから二枚の写真のように並べ直せばいい

  92

戦える戦士が少ないので壁にたくさん描いて数を補った
光がさす角度から考えるならありえない輝きが見えている
歴史というと必ず誰かを悪者にして説明した
正しい者だけに入室を許すのでここには誰もいない
目を閉じなければ真実は見えずしたがって本は永久に読めなかった
瞳を閉ざすなんて解剖学的にいってどうにも不可能でしょう
蜜蜂の巣箱を並べて神と家族を経済的に支えていた
真実を語るために三角形の目を空中に仮定する
たんぽぽの黄色ひまわりの黄色のあいだでブンブンと勤勉に働いた
羽音が祈りなのだからかれらはそれ以上に司祭を必要としない
すべての女に聖母を見なくてもすべての子は彼女の子だった
植物の紋様のある砂岩で地面をていねいに覆ってゆく
苺を潰した果汁で胸を染めるとてきめんに激烈な痛みが生じた
汗のしずくがすべて緑になるとき世界が許してくれる
トラキアから来た兵士が日射病でばたばたと倒れていた
ひたすら写本に努める修道女の似顔絵を記憶に頼って描く

  93

渓流の一部をせきとめ鱒を養い岩塩をふり焼いて売った
なぜそれが俳句なのかすら説明できないまま花の犠牲を出す
驚くべき雲の科学だが撮影は非常にむずかしかった
こんな山奥で羊たちの朗らかに臭い群れとすれちがう喜び
古い時計の呪縛により小学生のころ友達に与えた傷を思い出した
溶けた蝋を燃やして煤の香りと記憶の蒸発を楽しむ
ドイツ人が売るコーヒーにトルコ人はなじめなかった
金髪の娼婦たちの前をフォークソングをうたいながら通り過ぎる
雨が降りはじめたのでオペラハウスで雨宿りをした
彼女の爪を見ていると見る見るうちに琥珀に変わる
チューリップといっても球根を食用にするものだった
砂糖を匙にすくいわざと焦がして目を覚ましてみる
小さなトイ・ブルドッグが人の靴にじゃれついてとても危険だった
瞳の色がプラスチックに左右されて歴史がまた欺かれる
血と乳とブラックベリーの果汁を混ぜて独特な色を作り出した
一九五二年の海水浴の写真に何かを置き忘れたことを思い出す

  94

周囲のすべてが風に吹き飛ばされたようにさっぱりして暗かった
海岸に海が見えない防潮堤を作るなんて目に見える狂気だと思わないのか
眼球を失った犬をもう一頭の犬が紐をくわえて導いていた
少し雨が降っても気にすることなく地下鉄の駅まで歩いてゆく
流木を集めてそれを平原インディアンのティピーのように組んでみた
空に町を建てることは普遍的欲望で地表のいくつかの場所で実現される
泣くなよ泣けば氷が溶けるここに氷があると男がいった
マイクル・ジャクソンの声を聴くたびにある種の悲しみがこみあげてくる
その時代には世界的に砂糖が高価で人に虫歯がなかった
太陽をモチーフにしたあらゆる歌をメドレーにして歌いつづける
光があれば空虚を青として知覚するのがおもしろいと思った
すり減る靴底のバランスの悪さをアンディ・ウォーホルのTシャツで補正する
友人が撮影した「故郷の川」に失われたすべてが映っていた
少し遠いが山形か盛岡かカッセルの駅前広場で待ち合わせることにしよう
友人の先日終わった生涯について証言できることが少なくて愕然とした
「私のことを忘れないで」という声で目覚めるが誰の声なのかがわからない

  95

人生を順調に終えたあと腐らない死体として展示されるのが悲しすぎた
平原の夏がブラックベリーの震える海として押し寄せてくる
彼女が世界をさびしいと感じることに深く共感する小学生たちがいた
イルカが背びれを見せて大西洋の一部を航行する
噴火口にカルデラ湖を見るとき突然流氷とクリオネを思い出した
鹿の食害というが人の食害や残飯ほどひどいものはないだろう
木の机に刻まれた渦巻模様が苦しみも退屈もまぎらわせてくれた
ベオグラードの「学生広場」のベンチで無料接続で過去にメールを書く
見えない迷宮だから道を踏み外すたびに耳鳴りが道を教えてくれるのだった
ガラガラをばかみたいに熱心に振るとナマズが騒ぎ出す
地震と連動するかたちで富士山が噴火すれば東京は終わり詩と舞踊は残った
きみとアクラシアを論じて統治術の不在を嘆く
湖に百年ほど潜ってみると必ず全身が塩の結晶におおわれた
一面のひまわりの利用法を考えUNTERSHRIFTのためのインクを考案する
息だけで電球を点すという老人を見に行ったらインチキだった
ターコイズ・ブルーの嘴の小鳥に明日午後の運命をそっと教えてもらう

  96

閉じ込められることを嫌う魂が霧にうまく乗り拡散していった
夢の接近を感知して胡椒をわざと使って目を覚ます
星を呑む夢と虹を吐く夢が同時にやってきた
寒い秋に対抗するように最近必死で獣脂を食べている
魚が獲れないせいで幽霊のように痩せこけた羆が夕陽を背に立っていた
滝の音としぶきを背景にぐるぐる回りながら詩をつづけて読む
弟は架空のひとりだから仮に百人いてもかまわなかった
ターコイズ・ブルーの嘴をもつ小鳥に心と歌声を奪われる
寒い土地に住んだことがなかったせいで心が強く育たなかった
温暖な島を点々と暮らしてそれぞれの歌を覚えればいいのに
仕事というと縦縞のシャツを着て銀色の腕時計をしていった
引退が近づいたからこれからは横縞襟無しのシャツしか着ない
「未来」とは何か暗い気配がする方向なので道に迷わなかった
空しさとは公理だから人生にそれを嘆いても仕方がないでしょう
あまり品の良くない二人の若い女が老人にコーヒーをねだっていた
名前に巧妙に鳥を忍び込ませることの必要、鳥の一般的必要