犬狼詩集

管啓次郎

  55

眠ったふりをして少しずつ椅子を傾けていった
ワイオミングとワイカトで羊たちが道路と議会を占拠する
平原のuncannyな光がまた新たに上演された
カタツムリの触角の尖端で緑色の虫がぐるぐる動いて鳥を誘う
夜のうちに少しずつ体も自転することが避けられなかった
動物一般を、アリストテレスよ、どうして動物と呼ぶのですか
あまりに寒い冬で頬の裏側にツンドラがひろがっていた
彼女はディンゴを飼い馴らしてアルパカの群れを守らせる
交差点にぽつんと置かれたとき一気に都市的次元が生じた
皮下脂肪とコインが溶けるくらい気温が上がる、花も咲く
見る見るうちに花が成長するヴィジョンを映画以前に想像していた
星が雨のように降る高原でうつぶせに寝ている
海岸の海亀を見たければ23時すぎにおいでといわれた
「亀海」という地名は実際世界中にあるのかもしれない
生きることを学ぶためにすべての動物をよく見ろと教えられた
その教義から言語をひきはなすのが今後の課題となる

  56

女には演奏が禁じられている伝統楽器の奏法を少女は習得した
女には乗船が禁じられている漁船を祖母がシージャックする
反対方向から流れてくる二つの川の合流点に立っていた
焦げ跡のように茶色いツイードの上着がそれでもうおかしくない
小舟の舳先に描かれた太陽は小舟の「目」と呼ばれていた
使い古された動物のぬいぐるみたちがさまよいの航海に出る
一冊の本に別れるために1ページをまるまる筆写した
夕方の光がなんだか朝陽のように感じられる
図書館に入るたび本がうさぎのように跳ねてきた
田舎の舗装道路で紙のようにうすくなったうさぎに声をかける
「渇き、立っている」人たちの群れが夏至の丘の上に集っていた
人間を政治的動物と規定すると途端に政治がわからなくなる
一点にピントを合わせることでジオラマ的世界が生じた
写真化することで目の前の現実から目をそらしている
都市に覆われた地域で谷間を正確に選んで歩いていった
目をつぶればつぶるほど風の流れや音がよくわかる気がする

  57

いつまでも歴史の外にある偽りの国家だった
あざやかな色をした髪切虫が日付変更線を越えてゆく
心を刈りこむ代わりに髪をごく短くした
オアシスを相対化するように考えがどんどん湧き出す
日本語をあまり知らない外国人たちが日本語で談笑していた
ぼくは鳩にすらダスヴィダーニャと別れを告げる
マサラが脳に直接的な色彩を与えた
サラダの本質は塩なのよとマクロビオティクスの先生が説得する
あらゆる記念日は現実の前に敗退するとぼくは反論した
丘の上の髑髏を酢で洗うのがさびしい
悲しみを改訂する必要はないと天気予報家が語った
チャイに沈むチャイにさらに二十個の角砂糖を沈める
固いヨーグルトを溶かすためにバターと蜂蜜をかけた
そこでふたたび労働の技巧が問われることがある
私のいうとおりにパンを焼きなさいと村長にいわれた
煙が出る草花を無為のごとく燃やすといい

  58

「浮き上がれミューズよ」と金魚売りが号令をかけた
らんちゅうがよちよちと懸命にジャンプを試みる
歴史と雑巾をいつも忘れる偽りの社会だった
住居はすべて冷たい土に正方形に掘ってゆく
角とアレクサンドロスをアラビア語が再解釈した
浮世絵の片隅に家郷なきゴッホが住んでいる
街角で拾ったチケットはあらゆる映画館に人々を入場させた
「これをパスポートにしたら」とカラスが羽をくれる
黒砂糖を眉に塗るのは魔除けのABCだった
ある角度から見ると青く見えるのが彼女の右の瞳だ
マッチ箱を積み重ねても住居にもスカイツリーにもならなかった
火であぶれば緑の葉がどんどん分厚くなる
その後あらゆるリンクを糸電話に張り替えた
社会的な運動に回遊が連結される
音楽に自信を失った都市をふと影が通り過ぎた
巨大でぼんやりした表情が歩道の上に浮かんでいる

  59

黒い犬に降る桜が雨の降り始めのように美しかった
波の紋様を簡略化してそれで海洋民族を表している
個人的な語彙集を作りつつまだ書かれてもいない長編小説を読んだ
青いペンのインクが多彩な発色をつづける
砂漠の白い教会のそばの丘で洞窟に聖母が出現した
彼女は本棚をすべて著者名のアルファベットで配列する
パイナップルと血と挽肉で特別なサンドウィッチを作った
ときどき食事自体に強い罪悪感を覚えるのだという
墓地が歓喜にみちた群衆の集合地点となった
耳が痛くなるほど静かで目が痛くなるほどいい天気だ
縄文という響きと一万年が不等価交換された
悲劇という形式を選んだ鹿が何度でもその場で死んでみせるらしい
ゴッホが浮世絵に学んだように彼女は筋肉をリサ・ライオンに学んだ
腐心という言葉ほどイヤなものはないなぜなら心が腐る
私のamigoが「代々木公園」から地下鉄に乗車した
雨の日にシェルターを求めて私たちは街路樹から離脱してゆく

  60

食物が唯一の希望だ願いだというところまで人々が追いつめられていた
南極よりも広大な乾燥に人工物がすべてひび割れていくそうだ
毎年谷川が洪水を続ける小さな双子の村があった
水流は対立的な色で髪の毛をきっぱり染め分ける
小麦があればパンを作りトリモチを使って鳥をだました
Decemberなくしてdemocracyなしと果物屋の店先に書かれている
水墨画教師の息子は世界を白と黒でしか見なかった
「仮の水」とは偽の水なら私の顔だって仮面だから
タマという言葉により不在を丸く表現するつもりだった
不可能な世界に小さな偶然をイトミミズのように食わせてみる
力の緻密な消滅がクロアチアの海岸に金鍍金をほどこした
物悲しい砂丘です、黄色い花です、揺れてます
だが命ではなく自由な呼吸がみずからを主張し装飾した
私には火山がなかったが腰掛けにはそれでも事足りる
ただそれが分解されどれだけの労力になるかをロバの頭数で計った
干し草はあくまでも甘く分解され活動と瞑想を支援する