犬狼詩集

管啓次郎

  37

ある土地にゆき適当な樹木を探し
その葉をちぎり一枚を四つに折りたたんで
チョークのように使って白い壁に絵を描く
彼が描くのは山並みだ
新緑の大きな山がそこに生まれる
力強い緑がそれ自身として成長し
人の住めない「空」を少しずつ埋めてゆく
あの絶えまなく変化する空と山のぎざぎざの境界を
彼は指を黒いほどの緑に染めながら壁面に再現する
この山に隠れている鳥たちよ、騒げ
この山を放浪する獣たちよ、吠えよ
山の輪郭を見ているうちにぼくは心が育ってくるのを感じる
山は脱出を図っている、この平面から
いつかひゅんと飛び出すだろう
狼に育てられた兄弟のような
親しみを空に感じているせいで

  38

あるとき六本木からバスに乗って
広大な墓地を抜けて走っていった
バスのマッチ箱のような屋根の上だけに
雨がザーザーと降っている
これはなんというおもしろい現象だろう
窓の外で稲妻がビカビカと光り
雷鳴はあまりに激しくてこれでは耳が裂ける
強い風に飛ばされてゆく木の枝や野犬や乳母車が見えるのだ
ところがこの極小的な天候がカーテンの
ようにかかっている、そのむこうでは
濃い青空と単調な都会がどこまでも続き
その心の弱さと地盤の脆弱さに私たちは驚いている
雨よ降れ
水位が上がる
ぼくを乗せたバスはいつのまにか
事実的にbarchettaとなっている