2017年に公開され大ヒットした映画「ワンダーウーマン」の第2作を見に行った。鬼滅の刃に押されて客席はガラガラで残念だったけれど、いいファンタジーだった。
主演のガル・ガドットは、イスラエルの国防軍での戦闘トレーナ経験をへてミス・ユニバースのイスラエル代表から女優になったという経歴の人だ。彼女の自然な美しさによって「ワンダーウーマン」という夢の存在に説得力が生まれている。色々な装備を付けずに、まして「変身」などせずに身ひとつで闘っているところも良い。
第2作は特にCGでなく実写で撮るという事を目標にしたと女性監督であるパティ・ジェンキンスが語っている。第1作の成功によって、太陽をバックに現実の場所で撮影し、数か月がかりのワイヤースタントを撮る膨大な予算を確保する事ができたという。迷いを振り切って人類のために走り出していくバーバラ(ワンダーウーマン)の姿がまさにクライマックスなのだけれど、CGによる不自然な映像ではなく、リアルな肉体をもって表現された「ゆるぎない意志」というものが胸を打つ。アメリカンコミックスの絵柄から勝手に偏見を抱いていたのだけれど、ワンダーウーマンは「拳や拳銃でなく、愛の力で敵に勝利するヒーロー」として生み出されたという事だ。
前作でバーバラは「人類は救うに値するのか」という事に悩む。敵に「いっしょに人類を滅ぼそう」とそそのかされてひるむ。しかし、彼女を踏みとどまらせるのは、自分が出会った何人かの人間への愛だ。
今作でも人間の欲望が人間自身を滅ぼそうとする状況にワンダーウーマンといえどもなすすべがなくなる。彼女自身も「死んだ恋人に再び会いたい」という願いをかなえる事と引き換えに自分のパワーを失っていく。何でも願いをかなえる事ができる魔法の石と何でもできる(かのような)ワンダーウーマンとの対決となる。
ワンダーウーマンさえ来てくれれば問題は解決するのか、人間の問題は人間自身が解決しなければならないのではないか、さらに物語はそんなことも考えさせる。まあ、エンターテインメントなんだけれどもね。
人間に代わって解決してくれる人ではないと分かっても、ワンダーウーマンが横に居てくれるのは心強い。ダメなものはダメだと言って、「悪」に毅然と立ち向かって負けない姿は爽快だ。例えばコロナウイルスをどこかに追い払ってくれとは言わないが、コロナ禍の混乱に乗じて人を痛めつけようとする悪い奴はぶっとばしちゃってほしいと思う。そいつらが放つ悪を古代から受け継いだ盾で全部はね返しながら、そいつらの牙城にどんどん踏み込んでいって、思いっきり・・・・。