映画「ノマドランド」は、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、今年度のアカデミー賞6部門にノミネートされている話題作だ。キャンピングカーで生活しながら季節労働の現場を渡り歩く現代のノマド=遊牧民を描いた物語だ。ジェシカ・ブルーダーが2017年に発表したルポルタージュ『ノマド 漂流する高齢労働者たち』を原作にしているとの記事を読み、ロードショウ公開されたばかりの日曜日に見に行った。
主人公ファーンを演じるのは『ファーゴ』、『スリー・ビルボード』でアカデミー賞主演女優賞を受賞したフランシス・マクド―マンド。原作に共感した彼女は、この映画の制作者としても関わっている。実際にキャンピングカー生活をしている人々のなかに入っていって撮影し、印象的な脇役であるリンダ・メイやスワンキーは実在の人物だという。
冒頭、原野で用を足し、ズボンをあげて小走りに車に戻るシーンがある。誰も見ていないのに、身体から恥ずかしさが滲み出ていてかわいい。マクド―マンド、うまい!という感じだが、キャンピングカー生活では排泄が大問題なのだ。ノマド生活のリアリズムを感じるシーンだった。
ファーンは夫を亡くし、思い出の品をキャンピングカーに詰め込んで出発する。夫が務めていた企業がつぶれて社宅も閉鎖され、その企業城下町ごと消えてしまったからだ。ファーンがキャンピングカーで移動していくのはアメリカの西部。まだまだ手付かずのままの広大な自然を背景にした車上生活は、西部開拓時代を彷彿とさせる。一方、彼女が季節労働者として働くのがアマゾンの配送センターであるというのは、苦い現実だ。
企業の倒産によって住む家を失ったのだけれど、彼女の悲しみの中心にあるのは経済問題だけではないのだという事が段々わかってくる。夫という唯一の理解者を失ったことで、彼女は居場所(家)を失ってしまったのだということ、そのことが大きな悲しみであることが分かってくる。
車の修理代を借りるために、久しぶりに姉の家を訪ねるシーンがある。「あなたは昔から変わり者だった。家を飛び出して、そしてボー(ファーンの夫)と暮らすようになって」と姉が述懐するシーンからは、理解し合う事が難しい姉妹の間柄と、変わり者だと家族から疎まれていたファーンの唯一の理解者が夫だったのだということが想像される。もう、どこに住んだって、理解者を失った寄る辺の無さは同じなのだろう。
姉の夫は不動産業だ。同僚を招いたバーベキューで、「ローンを組めない人たちに無理やり家を売りつけて」と非難めいた事を言って場を白けさせてしまうファーンは、姉家族と一緒に住むことなどできないのだ。
珍しくスカートを履いて姉の家を訪問するファーンが、帰りにはいつものジーンズにパーカー姿になっているのを見ると、自分のことのようで身につまされる。
末期がんを患っているスワンキーは、かつて見たアラスカの美しい風景をもう一度見たくて旅をしている。ある日、ファーンのスマートフォンに、スワンキーが語っていた美しい風景の動画が届く。何の言葉も添えられていないけれど、ついに到着したのだというメッセージが、ファーンの胸を打つ。
生活を成り立たせるために、ファーンのノマド生活は続く。唯一の理解者を失った悲しみは癒えない。代わりの人など見つからないことは分かっているからだ。しかし、広大な自然の中を自由に移動して暮らす素晴らしさというものが、ほんとうにかすかに、小さな希望として見えるところで物語は終わる。
それは、ノマドの先輩であったスワンキーが教えてくれたことかもしれない。かつての家の裏庭からは、何にも遮られない広大な砂漠とはるか遠くに連なる山々が見えていた。夫と暮らしていた頃には背景に過ぎなかった広大な砂漠の中に、思いがけずも分け入っていく事になったファーン。そこに人生のおもしろさも感じさせる物語であった。