女友達

若松恵子

年の瀬に、麗蘭(れいらん)のライブを見るために京都に出かけるようになって10年になる。四条にあるライブハウス磔磔(たくたく)は、有名なブルースマンもライブを行ってきた、築100年になる蔵だ。麗蘭のメンバーである仲井戸麗市と土屋公平が、音楽の神様が住んでいるなんて言っていたけれど、その夜限りの特別な演奏が繰り広げられて(ライブというものはたいていそういうものなのだけれど)遠くまで出かけてきた甲斐があったものだといつも思う。クリスマスも終わり、初詣に備えて掃き清められてシンとした京都の街も気持ち良くて、通い続けることになった。

日帰りがほとんど、長くても1泊のささやかな旅だが、毎回どこかを観光している。今年は前から行きたかった恵文社一乗寺店に行くことができた。12月30日も営業していたからだ。叡山鉄道の一乗寺駅で降りて、どこか懐かしい感じのかわいい商店街を歩いてガイドブックで見ていた恵文社のドアを開ける。年の瀬だというのに本屋はたくさんの人で賑わっていた。恵文社の魅力ある棚を時間をかけて眺める。今年のうちに、これもあれも買ってしまいたい衝動にかられるが、東京に帰っても手に入るものはがまんして、女性作家のエッセイを集めた棚を眺めていた時、1冊の本に呼び止められた。雨宮まみ著『東京を生きる』だ。帯に追悼の字がある。著者の急逝を惜しむコラムを、どこかで読んだ、あの人かもしれないと思って棚から抜き出す。2015年4月の刊行だが、これまで他の本屋で出会う事がなかった。

「藤圭子の歌う『マイ・ウェイ』は、普遍的なことを歌っているようで、ただひとりの誰かの、とても個人的な、秘められた思いを歌っているように聴こえる。」と書く「マイ・ウェイ」。
「ほんものの美にひとが打たれる瞬間を、見たことがある。」そんな1文から始まる「美しさ」。

25本のエッセイが編まれたこの本にたちまち魅せられて、帰りの新幹線のなかで一心不乱に読み続けた。実際には聴いたことのない、雨宮まみの声にずっと耳を傾けていた。彼女の本のなかに、彼女の声が確かにあった。雨宮まみの目を通して描かれる、東京の寂しさと美しさに魅かれる。それはそのまま、彼女の美しさと寂しさなのだけれど、彼女自身にはそれは手の届かないものとして認識されている。

新幹線の横の座席に彼女が坐って、ずっと話すのを聴くようにして彼女の著書を読んできて、もうすっかり彼女は私の女友達のような気がしている。年上の女として、元気づけてあげたかったと、そんな事を思っている。