津野海太郎著『小さなメディアの必要』(1981年/晶文社)のなかの「こども百科のつくりかた」という1章が昔からずっと心に残っている。津野自身が「子どもをおもな読者とする百科事典をつくりたい」と夢想し、夜ひとりでこのまぼろしの子ども百科の字数計算などをしていると、花田清輝の幽霊がやってきて、傍らに座るのを感じるというエピソードが印象的だ。花田清輝の幽霊が傍らに座るとは「自分のしごとの本質的な部分を死んだ人間と共有する」ことであり、「(死んだ者の)はたされなかった計画のつづきとして自分のしごとを考える」ということだ。そういう仕事のありようについて、このエッセイで初めて知り、花田清輝もきっと身を乗り出して関心をしめしただろうという「子ども百科」という書物の存在が心に残った。
石井桃子の評伝を読んでいて、戦後まもない頃に「児童百科事典」を作った人として瀬田貞二の事を知った。『ホビットの冒険』や『ナルニア国ものがたり』の翻訳者として名前を知ってはいたが、瀬田が最初に打ち込んだ仕事が、平凡社の『児童百科事典』の編集であった。
瀬田貞二についてもっと知りたいと思い、『子どもの本のよあけー瀬田貞二伝』荒木田隆子著(2017年/福音館書店)に出会った。荒木田隆子は、瀬田晩年の担当編集者であり、本にまとめる途上で急逝した瀬田の仕事を引きついで『落穂ひろいー日本の子どもの文化をめぐる人びと』(上・下)を本にした編集者だ。瀬田が残した原稿を編集し、『絵本論ー瀬田貞二子どもの本評論集』と『児童文学論―瀬田貞二子どもの本評論集』(上・下)をつくっている。
『子どもの本のよあけー瀬田貞二伝』は、東京子ども図書館主催の講座「瀬田貞二氏の仕事」で荒木田氏が話した内容を本にしたものだ。「その語り口は、丁寧で慎重、正確で潤いがあり、聞き手に語り掛けるというよりは、むしろ自分に問いかける、といった性質のものでした。それは、荒木田さんの編集の姿勢にとてもよく似ていました。」と、巻末の解説で斎藤惇夫氏(荒木田氏と同じ福音館書店の編集者であり児童文学者でもある)が書いているが、瀬田の著作からの引用、瀬田貞二の仕事を理解していた人たちの言葉を丁寧に引用しながら彼の仕事とその魅力を描き出している。このような評伝のありかたもあるのだなと思った。
第1章は『児童百科事典』の時代として、平凡社「児童百科事典」を編集し頃の話だ。1949年、33歳の瀬田貞二。その仕事に至る、俳句に打ち込んでいた頃の事、夜間中学の教師をしていた頃のことも紹介されている。夜間中学の生徒たちと一緒に映る、復員服を着て無精ひげの瀬田の優しい笑顔の写真が紹介されている。今は古書店で探さなければ現物を読むことができない平凡社の『児童百科事典』の「まえがき」が引用されていて、今読むことができる。
「児童百科事典は、やさしい話から知識へ、身じかな事がらから深い道理へ、応用から原理へ、読むことから考えることへのかけ橋でなければならない。しかし、若い年齢を考えて、わざわざ、“児童のために”書くことは、いずれにせよ明白なあやまりである。児童は、可能性である。事がらの正しさと、高さとは、あつかいかたによって、児童に全的にうけとれるであろう。要は、それを興味あるすじだてによって、明瞭単純なことばで書かれることであり、それは、どんなおとなにとっても通じる真実である。そこで、この事典は、学問の正確さと、視野の広さを保つこと、問題をいきいきと、まざまざと表すこと、しかも、中心を直接ついて簡明であること、を、あくまでもめざした。」
この宣言は、知性というものの理想の形を語っているように思う。また、「若い人たちが偶然めくったページに読みふけってしまうほどの、おもしろい百科事典があったら、また、いやいや勉強のために引いた項目から、すぐさまはげしい好奇心をそそられ、志をよびさまされるほどの、たのしい百科事典であったら」と、そんな望みを持って『児童百科事典』はつくられたとも語られている。説明の文章も掲載する図版も妥協することなく練りに練られた仕事だった。
瀬田貞二はなぜ、『児童百科事典』の仕事にそんなにも打ち込んだのか。「新しい制度の新しい教科書が、てひどくアメリカの干渉になった、制約の多い程度の低い内容になりそうな形勢を、私は見た。(中略)学力の低下は必至だが、民間から子どもの百科事典のすばらしいものを出して、そいつをくいとめることができないだろうか、そう私は思ってプランを立てた。」と後のインタビューで瀬田貞二は語っている。そんな志をもって作られた百科事典だったのだ。
津野海太郎の「子ども百科のつくりかた」を読み返してみると、平凡社の『児童百科事典』が登場していた。刊行開始の1951年に津野氏は中学校に入学し、親を口説いて百科事典を購読してもらう事に成功したという。この平凡社版『児童百科事典』に今でも愛着を持っていると津野氏は書いている。彼が夢想する「こども百科」は、戦後瀬田たちがやりとげた仕事を、現代に置きかえてやろうとする仕事なのではないかと思った。
「みかけの情報量の増大にも関わらず、子どもたちは知るべきことを知る機会をあたえられていない。学校教育があたえる知識は、いまある高度産業社会を維持する必要のうちに封じ込められてしまった。その他の知識は、それらを緊密に組織する基盤を欠いたままバラバラに放置される。現行の子ども百科はこうした状態を固定化する役にしかたっていない。したがって、それはもはや百科事典ですらないのだと私は思う。社会のしくみが揺れ動いて、知識を組みかえる必要が生じる。その必要をみたすのが百科事典である。ディドロやヴォルテールをもちだすまでもなく、戦後まもないころの子ども百科がそのことを私におしえてくれた。バラバラの知識を再編集し、そこに一定の中心と輪郭をあたえる。百科事典の世界はユートピアの性格をおびている。だからこそ私はそこであそぶことができた。あそんでいるだけで、この世界の組織原理を感じ取ることができた。」と書いている。全くその通り。今ある社会を維持する必要のために閉じ込められている知識に対抗する知識を、大人の役割として子どもたちに手渡していけるだろうか、という事なのだ。