「裸の島」を見て反省する

若松恵子

子どもが熱を出して、仕事を休んだ月曜日。曇り空も憂鬱な午前中に、ケーブルテレビで何気なく見た「裸の島」に感銘を受けた。これまでも、日本映画専門チャンネルの「日本の映画100選」というシリーズによって、題名だけ知っていた古い日本映画を見て、どの作品にも心を動かされて来たのだけれど、「裸の島」については、見ることができた偶然に感謝したいという思いを持った。

「裸の島」は、新藤兼人監督による1960年の作品。上映前に入る、品田雄吉さんの作品解説によって(映画を愛している人による適切、簡潔な、この解説部分のファンだ)、いっさいのセリフを排し、映像だけで描かれた作品であることを知ってから見たので、慌てずにゆっくり味わうことができた。

瀬戸内海に浮かぶ小島に暮らす、乙羽信子、殿山泰司が演じる夫婦と2人の子どもたちが主人公。島には段々畑があって、夫婦は夜明けから日没まで黙々と畑仕事に励む。島には水がなく、大きな島から桶に水を汲んでは小舟で運び、畑に水をかけねばならない。日射しが強く土は水を一瞬にしてすい込んでしまう。1日何度も小舟で水を運ぶ夫婦の姿が映画の中心となる。水の入った天秤棒をかついで段々畑をあがる夫婦の姿が、繰り返し、繰り返し登場する。

見始めてまず心を捉えられたのは、小舟を漕ぐ乙羽信子の動作の美しさだった。映画を紹介する文章に「映像詩」という表現が使われているが、1960年の、のんびりとした瀬戸内の風景と、働く人間の肉体はともに美しく、確かに色々な思いを呼び起こす「詩情」溢れる映像になっていると私も感じた。セリフが無くても、肉体そのものが映画をどんどんひっぱっていく力を持っている。俳優2人は、1週間練習して天秤棒を担げるようになったという事だが、現在の女優にできるだろうか。当時の女優がまだ持っていた生活力(生命力)というようなものについて考える。

子どもたちも、親が必死に水を汲んでいる間に風呂を沸かしたり、夕食をつくったり、労働をする。両親の小舟が帰ってきたのを丘の上から見ていて、はずむように迎えに駆け降りてくる、ランニングと半ズボンの子どもの姿も美しい。子どもが釣った魚を大きな島の料理屋に売りに行って、ささやかな現金収入を得て食堂で食事をする幸福なエピソードが挿入される。そんな時には両親も洗濯したてのよそ行きを着ていて、彼らの明るいうれしさがこちらにも伝わってくる。

生きるために働き、たすけあい、いたわりあう。「裸の島」には、シンプルだけれど、確かな幸福が描かれている。お金をあまり持っていないから(お金で買えるものがほとんどないから)暮らしの全部を、自分たちの手で直接賄わなければならない。医者が間に合わず、急病になった子どもを亡くすというできごとが、映画のクライマックスとして描かれるのだが、子どもの棺を担ぎ、火葬にしてあの世に送り出してやるのも自分たちでやらなければならない姿を見ていると、何と私たちは直接やらない事ばかりになってしまったのだろうという事に改めて思い至る。

生きていくために必要な仕事のほとんどを直接自分で行う、そのことによって鍛えられた肉体、磨かれた人間の美しさが、この映画に描かれ、多くの人に感動を与えたのだと思う。ほとんどの日本人がそのように暮らし、女優もまたそのように育ちながら逞しい肉体を持っていた時代だから、成立した映画だったのだろう。

映画の最後、子どもを亡くした悲しみがまだ癒えない母親は、水桶をぶちまけ、野菜の苗を引き抜き、土に突っ伏して泣く。水を取りに行って留守にしなければ子どもの急変に気づいてやることができたのに、死の危険が迫った子どものそばに居てやれたのにと思う母親の気持ちはよくわかる。ありがとうとも言わず、すぐ水を吸い込んでしまう草々にむなしさを感じる気持ちもあるだろう。

並んで水やりをしていた夫は、そんな妻の姿をみつめ、大事な水をぶちまけてしまった事を責めるでもなく、おおげさに励ますでもなく、静かに見つめたあと、また水やりに戻る。前と同じように、直接水が苗に当たらないように、やさしく、ひとつひとつ、水をやっていくのだ。悲しい気持ちもわかる。でも、悲しさは、野菜にぶつけることではない。夫の姿から、そんな気持ちを想像する。夫のこの反応は私には意外なもので、考えさせられた。

2人のセリフは無いから、2人がどう思っているのかは、私の想像なのだけれど、2人の気持ちにぴったりな言葉などきっと無いのだから、むしろセリフが無いことの方がふさわしいのではないかと思う。ここまできて初めて、この映画にセリフが無いことの正しさがわかったように思う。

それにしても、答えのないことに対して、どんなに言葉を重ねて相手を責めたりしていたのかと、私のあり様について、反省させられたのだった。