ヒップかスクエアかと聞かれたら、残念ながら私はスクエアな人間だ。子どもの頃から「ここから出てはいけません」と言われた線を越えることがどうしてもできない。退屈だと思いながらも朝礼の整列やホームルームをうまく抜け出してサボるなんて芸当はできなかった。親のきまじめさが私の体にも染みついている。ルールなんて、安々とまたいでスタスタと歩いていけたらかっこいいのにと思うけれど、”ヒップ”になんて、努力してなれるものではないのだろう。
そんな四角い資質の私が、石田長生(石やん)のブルースになぜ魅かれるようになったのだろう。スクエアな女の子にも、なぜ石やんのブルースが届いたのか…その理由を考えることを通して、私にとっての石田長生の魅力を語りたいと思う。
まず気に入ったのは、彼の歌う声だった。声は人の意志だから、自慢げに歌えばそのように、媚びて歌えばそのように伝わる。石田長生は、関西のブルースマンだから、いわゆるコテコテに、大げさに歌う人のように勝手に思っていた。初めてかれの歌を聴いたとき、その偏見は、良い意味で裏切られた。むしろさわやかにまっすぐな歌い方だったのだ。自分がもらった声をいちばん活かす歌い方を探しているみたいだった。石やんが仲井戸麗市の「ティーンエイジャー」をカバーしているのを知って、探して聴いて、そして彼のことを好きになったのだった。
その仲井戸麗市を相手に語ったインタビュー記事を読んで、ますます彼のファンになった。そこで語られていたのは、小学校5年生の時にビートルズに出会って、「俺はもう大きくなったら絶対これになる」って決心してからの石やんの音楽の旅だ。ギター1本を頼りに様々な人と出会いながら自分の音楽をやってきた石やんが、「やっぱり小学5年の時に感じたことを貫きたい。っていうか、それやったら「ホームレスになってもええ」っていう覚悟で音楽やりたい」と語っている。
彼が子どもの頃に見つけた確信(ロック)に対する誠実な生き方、かれは堅気の職にはついていないけれど、その生き方を選んだことに対しては誠実さを貫いている。そこに私は共感したのだと思う。彼が「これに賭ける」と決めたものは、金儲けでも、名誉でもなく「ビートルズ!」だったというのもいい。
今年の2月から闘病中だった石田長生の訃報が届いたのは、7月8日のことだった。雨の1日だった。彼がギターを弾き、歌う姿を、もう2度と見ることができなくなってしまった。残念ながら彼の最後のCDとなってしまった、三宅伸治とのヘモグロビンデュオによる「try」を繰り返し聴いている。
ライブで何回も聴いた「That Lucky Old Sun」は日本語詞で歌われている。
朝っぱらから 仕事にでかけ
悪魔のように金儲け
なのに1日中、ゴロンゴロンと
お空じゃ おてんとうさん
女と争い、子どもを育て
俺は死ぬまで汗まみれ
なのに1日中、ゴロンゴロンと
お空じゃ おてんとうさん
上の方からじゃ 見えないのかな
俺の涙なんて
連れてっとくれよ
銀の雲に乗せ
永遠の楽園へ
会社にむかう電車の中で「悪魔のように金儲け」と、心のなかで口ずさみながら苦笑する。おてんとうさまとくらべて、自分の境遇を嘆く。
石やんも私も、それぞれの暮らしを誠実に送り、ブルースを分けあった。日常を降りてしまったら、ブルースも生まれない。「ビートルズになる」と決心したと同時に「ホームレスになってもいい」と覚悟した少年は、音楽の人生を全うした。生真面目でもあり、自由でもある人生だったと思う。