新聞の映画評を読んで気になっていた作品を、続けて2つ見た5月。どちらの映画でも、アネット・ベニングが主人公を魅力的に演じていた。2つの映画とも”女性たち”が主人公だ。そして、どちらの作品も、女性を起点に家族という「逃れられない関係」を描いていて、見終わったあとに色々と考えることがあった。
初めに見た作品は、「愛する人」(2009年 監督・脚本ロドリゴ・ガルシア)。アネット・ベニング演じる主人公カレンは、14歳で妊娠し、母親の判断で恋人とも引き離され、赤ん坊は養子に出されて、1度も会えないまま37年が過ぎている。母親は、自分がした判断を後悔しつつも、娘にあやまることができない。しかも、今だに、娘が職場の男性の話をしたとたん「だまされないように気をつけて」なんてことしか言えないのだ。自分のそんな些細な言葉がどんなに娘を縛ってきたのか気づきもせずに…。母親というものは、時に無意識に娘の人生に制限を与えてしまうものだ。かつて子どもだった私は、子どもの側からその悲しさがわかる。母親だってかつては子どもだった人なのだから、その悲しみを知らないわけではないのだけれど、どんなに理解ある母親であっても、娘の人生に全く影をささないなんてことはあり得ないのだろうと思う。第一、この世に生み出したという、決定的な影響を既に与えてしまっているのだから。母親という自分を脅かす存在、それを受け入れて、呑み込んで生きていく娘(カレン)。映画は、そんな彼女を否定せず、必要以上に賞賛もせず、淡々と描いている。親という、逃れられない存在を理由なく受け入れて呑み込んで生きている子どもという存在は健気だ。
一方、「愛する人」のもうひとりの主人公、カレンの娘エリザベスは、誰の力もかりずに、生きるということを人生の目的に頑張っている。母親から切り離され、ひとりから始まった人生を生き延びていくために、こういう生き方になるのは真っ当なことだ。誰の力も借りずに生きるための力(弁護士としての成功)も付けつつある。エリザベスが人の世話になったのは、人生唯一、産んでもらった事ぐらいだと言える勢いだ。こんな生き方のエリザベスには友人も恋人も必要なく、当然子どもも要らないと避妊していたのだが、ある日、予期せぬ妊娠をしてしまう。その子どもを「産む」という判断を直感的に下し、当然堕胎するだろうと決めつける女医に怒りをあらわにするエリザベス。なぜ産むことにしたのか、理由は一切描かれない。産むことを否定してしまったら、産まれた自分を否定することになるではないかなど、理屈は色々考えられるが、エリザベスの姿を見ていて、「産む」ということもまた、産む側が(親となる人が)そのことを理由なく受け入れて、呑み込んで行う行為なのではないかという気がふとした。
ひとりきりで出産することを決めて、赤ん坊の父親から離れて、新しい街で暮らすエリザベスは、同じマンションに住む、目の見えない少女と知り合い、初めて心を開いてささやかな友情を結ぶ。その少女はエリザベスを産んだ時の母親と同じ14歳だと知り、「私が思い浮かべる母親は、いつも頼りない14歳の少女の姿をしている」という印象的なセリフがつぶやかれたりするのだが、妊娠しているエリザベスのお腹をさわって、その少女が「ワオSFだわ!人のなかに人が入っている」と言うのを聞いた途端、涙が止まらなくなってしまった。子どもを産むということ、自分のなかにもう一人のひとを受け入れるということの哀しみというか、それをやってのける生き物の健気さというものにいきなりさわってしまった感じだった。
「人はひとりでは生きられない」と言ってしまっては、身も蓋もないが、逃れられない人間関係のなかに人は居る。誰かから生まれ、育てられて生きてきた以上、その必要最低限の単位は母と子ということになるのだろう。「愛する人」の原題は「MOTHER AND CHILD」であり、のっぴきならない人間関係というものは、産む性である女性を起点に描かれることになるのだろうと思う。そして、産む方も、産まれた方も、そのこと自体は受け入れるしかない。もう起こってしまっていることなのだから。「あきらめなさい」ということでは決してなくて、受け入れて生きていくことが自然のことのような気がするのだ。このことを理詰めで説得されるというのではなくて、アネット・ベニングの泣き顔を見ていて、府に落ちてしまうという感じなのだ。映画マジックということだろうか。
2本目に見た映画「キッズ・オールライト」(2010年/監督・脚本:リサ・チョロデンコ)では、産まれた理由は、ますます子ども達には受け入れがたい設定となっている。(レズビアンのカップルである両親が精子バンクを使って人工授精により子どもを設けた)しかし、子どもたちは母親たちも、精子を提供した父親も受け入れていく。子どもたちは大丈夫なのだ。そして、自分の意志で選びとった関係であってさえ、長い年月のなかでその関係を育て、絆を持ち続けていくためには、時に、相手を理由なく受け入れる時が必要なのだということが、こちらも説教くさくなく描かれている。「愛する人」よりは、さばさばと、人生経験を積んだ主人公を演じながら、それでも、指で涙をぬぐうアネット・ベニングは小さな女の子みたいだ。こちらの作品でもまた、自然な彼女の泣き顔が印象的だ。