目的なしの連想的歩行 (2)

三橋圭介

わが家のねこ、ココ。おそらくおばあさん(測定不能)。昨年の夏、風邪で死にそうになっているのを見つけ、「家にくるかい?」ときいたら、ついてきたので家につれてきた。風邪が治っても、ココがねこらしいジャンプをするのを見たことがない。ゆっくりと歩いて寝床と「あそんで〜にゃー」をくりかえす日々。日光浴は暖かいから好き。缶詰はカニカマ缶が一番好き。お水はたくさん何度でも。そんな彼女の目が見えなくなったのは3日前。

「目隠して歩く。まっすぐにすら歩けない。五歩くらい歩いただけで、安全だと分かっていても不安になる。暗闇の世界が広がる。しかし知っている道も、知らない暗がりのなかに埋もれて、自分の居場所がなくなる。そしてほんの少しの音にも敏感になって、気配を探る。」

ココもおなじだろう。ねこが人間より優れているのは嗅覚。道は匂いが教えてくれる。トイレの砂にはたどりつけるけど、失敗もする(結構多い)。でもお水はどこか? ご飯はどこか? 匂いの測量は強度によって決まるのだろう。だから近い場所にそれぞれを配置してみる。なんとなく分かるようだが、なかなか難しい。先ほど、トイレを失敗しました。歩行を難しくしているのは、目を掻かないようにしているカラーのせいもある。いつもぶつかるし、ある角度では水も飲めない。ご飯も食べられない。だから飲みやすい、食べやすい角度が大切。でもときどきひっくり返す。「ああ、またですね」。

「視覚障害者の「歩くことに慣れ」とは、自分と物や人物などとの距離を測ることだろう。そこでは音の反響は重要な要素となる。おそらく、安全に自分の場所を得るために聴くべき大事な音がある。」

ココはあまり耳がよくない。年のせいかもしれない。しかし家という安全な場所にいるので、どこにいてもそんなに心配はない。どうやって快適に過ごすことができるか。慣れてくれることを祈りつつ1012年を迎えました。おめでとうございます、みなさま。