『声とギター/港大尋』がようやく完成した。先日、5月2日のCD発売記念ライヴ(7時30分から神楽坂にあるシアターイワト)でアフタートークに出演の管啓次郎さんと新宿で打ち合わせをした(管さんはCDのライナーノートに「タンガダ・マヌの歌声、港のボッサ」というおもしろい作文を書いている)。ただ打ち合わせといっても管さんを交え、港、八巻美恵とわたしの4人でお茶をしただけ。顔合わせのようなもので、港らしく「なんとなく適当にやりましょう」という重要事項を確認した。
港は管さんと約20年ぶりの再会らしくほとんど初対面に近い。「昨日、管さんが夢に出てきたんですよ。管さんは真っ黒だったんだよね。」と港。日焼けして真っ黒だったのか、それとも黒人だったのかは定かでない。管さんといえばたくさんの翻訳やエッセイなどを出版していて、何冊か読んでいる。CDの録音のとき、港のカプチーノ・スタジオに管さんのエッセイ集『ホノルル、ブラジル〜熱帯作文集』(インスクリプト)が何気なく置いてあり、その美しい装丁に目が留まった。借りていこうか迷ったが、もちろん買った。
「言語は島、その長い海岸線はつねに他の言語からおしよせてくる波に洗われ、刻一刻と地形を変えている。まるで渡り鳥が飛んでくるように外国語の単語が滞在したり、流れついた椰子の実が芽吹くようにその場で育ちいつのまにか大きな林になったりもするだろう。いいかえれば、ある言語の中にはいつくもの言語が響いている。」
翻訳者である管さんは言語という島を渡り歩く鳥人(タンガタ・マヌ)。ことばの何気ない響きにアクチュアルな通路を見出し、移動、跳躍することで、自由に旅めぐらすことのできる交通の人。そういえばCDのエッセイのなかで管さんは「旅行とは世界による私の批判」と書いている。批判に耐えるだけの体力と知恵を身につけた人なのだと思う。これはその風貌からも伺える。
残念ながらお茶の時間は短く、あまり話をきくことができなかった。これはアフタートークにとっておこう。だが、港大尋と管啓次郎の出会いは『ホノルル、ブラジル〜熱帯作文集』の表紙を飾る美しい写真ですでに預言されていた。表紙を上から見ていてもだめ。開いてみよう。港を背にWhat?と書かれた船の形をしたベンチにもたげて黒っぽい男がこちらを見つめている。管さんは港について「何?」を語るだろう。管タンガダ・マヌが語る港タンガダ・マヌ。「管さんは真っ黒だったんだよね。」の真相は、当日のライヴに来てご確認ください。では会場(海上?)で会いましょう。