オタク的なサブカルチョコレート

さとうまき

寒くなってくるとチョコレートの季節。

今日は、昨晩から新宿に泊まり込んで、駅の地下にあるベルクというお店にチョコを置いてもらうために、朝の5時30分から作業だ。夜明け前の新宿。血を流してへたりこんでいる若者がいる。ハロウィンの仮装だ。ガード下にはホームレスが寝ていて、こちらは仮装ではなさそう。

イラクの子どもたちの絵も展示してもらえるというので、今年の缶の絵を描いてくれたSUSUの絵を、加工したものを作った。1960年代のポップアートを2017年という時代に焼き直してみるというコンセプト。技術は進歩して、フォトショップを使って家庭用のプリンターで打ち出すだけでいい。

広告が氾濫するように、メッセージが氾濫してほしい。僕らは、イラクのがんの子ども達を支援しているわけだが、「もっと薬を!」みたいな支援を訴える広告性だけでなない。SDGsに絡めて、みんなが医療を受けられるようなシステムづくりといったアドボカシーや、劣化ウランを廃絶せよとか、核兵器反対、NO WAR などのメッセージを氾濫させる。フェースブックでも簡単に拡散できる時代だ。しかし残念なことに、流れに乗らないと誰も見向きもしてくれない。新宿のベルクは一日1500人のお客さんが来るから、否が応でも、一か月は僕たちのアートに触れてもらえる。

さて、今回使った絵を描いてくれたのがSUSU。アニメのキャラクターのような絵を描く19歳。イラク、バスラの貧困街で生まれ、10歳で卵巣がんになる。闘病中は絵を描いて過ごすした。がんを乗り越えるが、学校には行かず引きこもりに。2013年に私が彼女の家を訪ねたときは、ほとんど口もきいてくれなかった。

アニメのキャラクターのような絵でチョコを作るのは結構難しいが、イラクのがんの子どもの絵をパラパラ見ていると、ディズニーキャラはもとより、スポンジボムとか日本風のアニメもある。ピカソのようなオリジナリティあふれるものは実は少ない。

思えば、日本の文化で海外で評価されているのは、昔の、ソニー、キャノン、トヨタ、すごい!という時代は終わっていて、日本といえば、漫画やアニメやゲームのオタク文化であり、世界の潮流になろうとしている。日本語でゲームをしたいとわざわざ日本語を勉強する若者もいる。なので、今回はそういうオタク的なサブカルに挑戦することになった。

SUSUの協力が必須で、アルビルまで呼び出してきてもらった。お母さんが一緒じゃなきゃいやだというのはわかるが、マナール先生も一緒じゃないといやだという。まあ、バスラからアルビルは、飛行機もそれほど高くないからお安い御用ではあった。

2017年に再会したら背も僕よりも大きくなっていた。2013年の印象が強く、恐る恐る話しかけてみたら、結構明るくなっていた。病院を訪問し看護師やソーシャルワーカーに自分の体験を話してもらった。結構本人も感じるところがあったのか、お母さんも、「バスラにいるときとは信じられないくらい積極的」だったという。

その後JIM-NETのスタッフとして働くことになった。さて、そのSUSUがメッセージを書いて送ってくれた。
「それまでの私は、普通の10歳の子供と同じような人生でした。しかし、それから一か月もしないうちに、私の人生は完全に変わってしまいました。私の体調は非常に悪くなり、痛みもひどくなりました。
様々な検査を受け、癌という結果が出ました。そして手術を受け、手術は無事に成功しました。手術で私の体から腫瘍を取り除きましたが、医師の考えと検査結果から化学療法を受けなくてはならなくなりました。
私は自分の運命、未来を知りませんでした。癌とはどういう意味なのかさえも知りませんでした。癌は他の病気と一緒で薬を服用したり、注射をすれば治るものだと思っていました。
病院では毎日たくさんの子どもの患者が、私の眼の前で亡くなりました。そのことは私の人生の中で、最もつらい出来事でした。
化学療法は他の治療と違って、私の容姿と心を完全に変えてしまいました。痛みがあったり、時々食欲がなくなり、免疫が弱くなりました。そして家族は、私がもうすぐ死んでしまうのではないかと恐れていました。
さらにつらいことは、人々が私を死が近づいている子どもであると、憐れみの眼で見ることでした。また彼らは、癌は伝染する病気と考えていたため、私に近づこうとはしませんでした。
私は、彼らが私の髪の毛がないことを笑ったり、質問したりしたことを、今でも覚えています。そして学校にも行けなくなりました。
しかしながらこれらすべてのことは、私を強くしました。自分は気にしていないし、強いということを見せようとしました。そして徐々に強さと笑顔を見せるようになりました。
私は治療を終えましたが、癌が再発しました。それでも癌に打ち勝ち、2010年にすべての治療を終えました。
私は、私よりも強力な病気と闘って勝ったことを誇りに思います。私の体験談や、絵が多くの子ども達にちょっとした笑顔を与えて、たくさんの癌をやっつけてくれたらいいと思います。
私を優しく支えてくれた医師たち、家族、先生たちとJIM-NETに感謝しています。」

今回の展示ではSUSUだけだはなく、2009年に目のがんで亡くなったサブリーンが描いた絵もリメイクしている。実はSUSUの本名はサブリーン。2008年にSUSUが病院に来て初めてサブリーンに出会った時のこと。
サブリーンは、SUSUに、「この病院には、2人のサブリーンがいるのね。でも私はもうすぐいなくなるのよ」と言われて、当時10歳のSUSUにはよくわからなかったが、一年後にサブリーンが亡くなった。そして次は自分かもしれないとおびえていた。サブリーンが、イラクのがんの子ども達のために絵を描き続けたことを改めて知り、遺志を継ごうとしている。是非見に来てください。

ベルク 11月1日―11月30日(7:00-23:00)
「イラクとシリアのHappy なアート展」