コロナ貧困ものがたり

さとうまき

自分で言うのもなんだが、僕はいつも最先端を走っている。イラク戦争では、まさに前線で命からがら働いてきたし、福島原発事故では、放射能のせい?で家庭が崩壊して妻子に逃げられた。そして、コロナは。

一年前に失業してから、仕事がない。失業保険で暮らしていたが、そろそろ失業保険も切れかけたころ、前妻から電話があった。北海道にいたムスコが転校したばかりで、友達ができる前にコロナで学校が休みになった。STAY HOMEしていた息子は母親との関係にも行き詰まり部屋から出てこなくなったらしい。暫く東京で預かってほしいといわれたのだ。

急を要するらしく、ともかく慌てて北海道に迎えに行ったものの、息子とは年に3日ほどしか会わないから、どう扱っていいかわからない。児童相談所とか、片っ端から電話した。「いうこと聞かない場合は、どうしたらいいんですか? 殴っていいんですか?」
そういう風に言うと大概は、親身になってくれる。

最初は、ただ、家に帰らせて! と泣いていたムスコも打ち解けてきた。僕は、何とか仕事をせねばならず、夜間学校で職業訓練を受けることになった。昼には出かけて行って、夜の10時ころに家に帰ってくる。

ムスコは先日11歳になったのだが、成長期でよく食うのだ。なんと一か月に5キロも増えているし、ぐんぐんと大きくなっているのがわかる。当然食費がかさむので、近所の子ども食堂がお弁当を届けてくれたりして、何とか食いつないでいるありさまだ。優しい人たちがいるもんだ。しかし、偏食も激しく、僕が作ったおかずの肉だけ食ったりとかするもんだから、僕も自信がなくなり、仕方なく残り物を食うから、こっちまで太ってしまう。

学校の帰りに西友によるとちょうどお弁当が半額になっていたりするのでこれはありがたいのだ。ところが息子ときたら賞味期限にはクソまじめときている。半額の納豆巻を買っておいて、翌朝食べさせそうとしたら、
「酸っぱい味がする」
「すしだから酸っぱいでしょう」
「賞味期限一時間切れている」
「それくらい、大丈夫だって。」
「くさいんですけど」
「納豆だからくさいんだよ」

結局息子は納豆巻には一切手を付けなかった。
「あのさあ、生活厳しいんだからさあ、賞味期限ぎりぎりのものを狙うっていうテクニックわかってほしいんだけど」
僕は納豆は嫌いなので、結局食わずに捨てることになった。結局これでますます食費がかさむ。

すでに、息子と暮らし始めて2か月だ。それでも、最底辺の毛の生えたような貧困生活を楽しんでいる。コロナで似たように生活の苦しい仲間もいるから。

ところで最近シリアに、アメリカが、「シーザー・シリア市民保護法」と呼ばれる経済制裁を課した。人権侵害を繰り返すアサド政権を窮地に追い込むのが目的だが、シリアでは現地通貨が暴落し、コロナの影響もあり、経済活動が成り立っていない。今彼らに必要なのは仕事をして普通に暮らすこと。

アメリカ曰く、人道支援に関しては制裁の対象ではないらしいが、そんな支援にどっぷりつかるような暮らしは好まないだろう。なぜなら、援助関係者が偉そうにふるまって、一部の心無いNGOなんぞは、戦争産業の一部と化して暴利をむさぼる。ローカルスタッフとして雇われた暁には、普通に働いている人の(いや、普通に働けない者がもうあふれているわけで)何倍もの給料をもらって、偉そうに食料を配われたんじゃたまらん。

その構造は、日本でも同じだ。給付金をめぐって、電通はやりたい放題。コロナ禍でたとえ世界が封鎖されようが、我々、庶民は世界とつながっていく。息子は、「お金には価値がない。価値なんてこの世界にはないんだ」ってぶつぶつ言っている。コロナを強く生き抜いてもらいたいもんだ。