6月の終わりのデモクラシー

さとうまき

6月29日、丁度、ヨルダンについたら、金曜日だったので、デモを見に行くことにした。「アラブの春」の影響を受けてヨルダンでも毎週金曜日は、キングフセインモスクの前でデモをやっている。今回のテーマは、公共料金の値上げに反対するというもの。

モスクの前だからイスラム政党が仕切っているのかと思いきや、旧ソ連の国旗のようなTシャツを着たグループもいて、結構みんな楽しそうにみえる。ヨルダンのデモは公道を遮断して、道一杯にデモ隊が繰り出すから迫力がある。ヨルダンでは、当局の言論統制がさほど強いわけではなくても、「こんなこと言ったら当局にひどい目に合わされる」という風に思い込んで、自重してしまうことが多かったそうだが、「アラブの春」以降はみんな自由に主張できるようになってきたとか。

時を同じくして、日本でも、大飯原発再稼動に反対するデモが官邸前で行なわれていた。こちらも毎週金曜日に集まるようになっている。先週は4万5千人あつまった。そして、なんと20万人?が集まってきたというからすごい。日本はたくさん集まっても歩道しか解放してくれないから迫力に欠けるけど、さすがにこれだけ人が集まったらすごいだろう。なんだか遠くにいてもエネルギーをもらった気がする。ツイッターやフェイスブックの力は侮れない。誰かが、「アジサイ革命」と呼んでいるそうだ。

そしてシリアはどうだろう。6月28日に、ヨルダンのシリア難民がシリア大使館前に集まってデモをした。国家の替え歌がうたわれる。新しい曲を作るのではなく、替え歌というのが引っかかるが。最後には、大統領の大きな写真を持ってきてみんなで踏みつけるパフォーマンス。

僕は、1994年から2年間、シリア政府の工業省で働いていた。協力隊員として派遣されたのだが、ハマの国営タイヤ工場で生産されるタイヤの品質改善を行なっていた。やる気のない公務員たちと働くのは、厭だったが、彼らを観察するのはとても楽しかった。だから、今のシリアが信じられない。バッシャール大統領は、父親から政権を引き継ぎ、民主化に向けた改革を自ら行なおうとしていた。クリーンなイメージがあったのに。
しかし、今は、デモを極上の暴力で押さえ込もうとしている。

昨年4月29日、13歳の少年、ハムザ君が、デモに参加し、父親とわかればなれになってしまい、シリア当局に拘束され、拷問を受けて遺体となって戻ってきたという事件があった。電気ショックやタバコを押し付けた後があり、性器も切断されていたという。

このニュースを聞いた時、私は吐き気がした。こんな国の政府で2年間も働いていたのだ。大統領の写真を踏みつけたい気持ちだ。僕は当時東北の復興支援で走り回りながらも、怒りに震えながら、この記事をリツイートしたのを思い出す。

しかし、最近出版された、元在シリア日本大使を務めた国枝昌樹氏の『シリア アサド政権の40年史』(平凡社)には、シリア政府は、ハムザ君は、4月29日のデモで銃撃され死亡したとし、身元がわからぬまま3週間たってしまったこと。検視報告書によると、弾痕以外の損傷はなく、死亡後に、遺体が朽ちて損傷し、性器も腐り落ちたと説明しているという。だからといって、アサド政権の弁をどこまで信じていいのかわからない。

しかし、国枝氏の本は、アサド寄りに書かれていて、僕はかなり共感した。なぜならば、アサドがデモを怖がり過激な暴力で鎮圧することには、意味がない。なぜならば、暴力がネットで流れてしまうことのほうがもっと怖くて、政権にダメージを与えるのはわかりきっている。ネット時代。実際にそうなってしまっている。そんなことを、アサド政権は自ら好んでやるのだろうか。外国からの介入で真実が歪められている気がしてならない。政権側も、反体制側も信用できないのだ。

事態が深刻なのは、暴力がエスカレートし、犠牲者が増えていること。何とか、犠牲者を救済しようと、張り切って、ヨルダンに来て見たものの、お金もさほど集まらない。「何をしてくれるんだ」というシリア人の期待に、そえない自分にいらだつ。それならば連帯だと、差し出される、「自由シリアの旗」。僕は、感情的には、昔のシリアを懐かしむあまり、「政治的には中立」をたもち、旗を振る彼らを冷ややかに見ざるをえないのだ。

アンマンにて