ワールドカップと世界難民の日

さとうまき

世の中がワールドカップで騒ぎ出した。しかし、どうも、僕は、みんなが騒ぐとあまのじゃくになってしまうところがある。日韓大会は、開催国にもなったわけだから日本中は大騒ぎだったと思うが、僕は全く記憶になくてTVも見ていない。それは、パレスチナとイスラエルの紛争が激化して、結局私自身が、イスラエルの嫌がらせを受けて入国拒否されるという憂き目にあわされてしまうのだが、同僚たちは、呑気にサッカーで興奮していて、何もしてくれないというありさまだったのだ。それ以来、サッカーには目もくれなかった。

しかし、イラクのがんの子どもたちの支援を始めてからは、変わってきた。子どもたちが、サッカーが好きで、ナカタとか、タカハラとかの名前を知っている子もいる。これは、少しはサッカーを勉強しなくてはと思うようになった。

ワールドカップの時期には、子どもたちに、ブラジルや、ドイツ、アルゼンチンなどのユニフォームを買ってプレゼントするのだ。しかし、残念なことに日本のユニフォームが現地では手に入らない。厳しくライセンスが管理されているんだろう。日本で買うと1万円近くしてしまう。そこで、思いついたのが、中古のユニフォーム。毎回少しづつデザインがかわるから古くなったのを寄付してくださいと呼びかけている。

病院に入院しているがんの子どもたちにプレゼントするのだ。この時期、日本代表チームを応援している日本人のパワーが、がんの子どもたちにも向かえば、きっと助かるような気がしてくる。もちろん、薬などの医療支援も必要だから「感動募金」と称して、募金も集める。http://jim-net.org

たとえば、シリア難民のバッシャール君、12歳。ダウン症で生まれてきたが、白血病になってしまった。シリアのアレッポの郊外に住んでいたので、アレッポの病院でがんの治療を受けていたそうだが、昨年の秋に、戦闘が激しくなり、村から病院に通うこともできなくなった。ともかく息子の治療を続けなければならないと、イラク国境をめざしたのだ。UNHCRで登録を終えると、バッシャール君の様態がわるいので、難民キャンプには入らず直接病院まで搬送された。親切なイラク人が家賃を肩代わりしてくれてアパートに住むことができたが、長くは続かず、お父さんは、仕事を探している。病院までも30分くらいはかかる。JIM-NETも寄附を集めて、貧困患者の交通費や、薬代を支援しているのだが、お父さんは、しつこく支援を要求してくるので、医師も対応に疲れ切ってしまった。

1月に会った時は、感染症と出血で体中にアザが出来ていた。医師も心配だという。それでも私たちが支援した抗生剤が効きだし、一か月後には元気になっていた。しかし、最近また調子が悪いという。「2週間程前のケモセラピー後から白血球の低下、口内炎出現、肝臓肥大と調子がよくなく、連日抗生剤の点滴、電解質バランスを整える一般的な点滴治療を行っています。いつも泣いていて、話しかけても顔を背け、泣き叫んでます。点滴自体は痛くないはずですが、腕に針が刺さっていること、お口の中やお腹が痛いこと、体がだるいこと、全てがつらくてどうしていいかわからないようです。」と現地に派遣している田村看護師が報告してきた。バッシャール君にユニフォームを着せたい。

間もなく、ワールドカップが始まる。会期中の6月20日は世界難民の日。日本は、ギリシャと対戦するが、この日は、バッシャール君のように、異国で難民となりがんなどの病気と闘っている子どもたちに、スポットライトを当てたい。

しかし、会場となるブラジルが揺れている。
ブラジルW杯の「代償」、会場建設で加速するホームレス化」という記事がある。
サッカー王国のブラジルが、「ワールドカップよりも福祉を」訴えて、デモを続けているというのだ。そして、4000世帯がホームレスになってテント暮らしをしているという。世界難民の日。我々は、本当に、ただゲームを楽しむだけではいられない。