ハワイの不思議 パールハーバーを忘れるな

さとうまき

友達の結婚式にハワイに行くことになった。どうも、ハワイに行くとは人には言えず、こっそりと夜逃げのように出かけて行ったのである。なぜか罪悪感を感じてしまう。別にパールハーバーで日本がだまし討ちをしたからというわけではない。日本は師走なのにのんびりしていていいのか。 

しかし、ホノルルの飛行場に着陸すると、米軍の輸送機が待機している。1893年:アメリカ人農場主らが海兵隊の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立。このときからアメリカの力が強くなり、1898年には、ハワイを併合した。そしていつの間にか、ハワイは軍事拠点として重要な位置をしめる。ワイキキビーチにいると分からないけど、沖縄同様、米軍基地がたくさんある。

先月沖縄に行って驚いたのは、予想以上にさびれている。嘉手納やキャンプハンセンの前の繁華街。ほとんどシャッターが落ちている。昭和の雰囲気満載のバーは、補修もせずにぼろぼろだ。海兵隊が歩いていたので聞いてみると、「物価が高くてね」と嘆く。確かに円高だ。ベトナム戦争のころは、明日、戦地で死すかもしれない兵士たちが、ドル札をブチまくように、遊んでいたというが。最近、米兵は基地の中でこもっているのだろうか。

一方、ハワイは、日本人が円をぶちまけるように買い物をしている。戦闘機も飛んでこないし、本当に基地があるのかと思ってしまうくらいだ。パールハーバーに行ってきた。アメリカが本土攻撃を受けた唯一の場所。ブッシュ大統領は、911を評して新しいパールハーバーといった。

「ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。
アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊の話だ。だが、日本は宗教、文化的伝統を保ちつつ、世界最高の自由社会の一つとなった。日本は米国の敵から、最も強力な同盟国に変わった。
我々は中東でも同じことができる。イラクで我々と戦う暴力的なイスラム過激派は、(日本と)同じ運命をたどることになる。」

ハワイからもイラクに歩兵部隊が派遣された。翌日の新聞は、イラクに800人の歩兵部隊が、任務に就くという記事。オバマ大統領は、8月末に戦闘部隊の撤退を宣言したが、未だに5万人のアメリカ兵が駐屯している。まだ、アメリカは戦時下だ。というかいつも戦争をしている国。戦争に向かうメンタリティーは、1941年当時と何ら変わっていない。ワイキキビーチを歩く。よく見ると、海兵隊員が家族を連れて、一時のバカンスを楽しんでいた。

なんだか、あまりのんびりする気が無くなってしまったハワイ旅行であった。