油絵のマチエール

さとうまき

まだ、7月で、バレンタインデーには程遠いが、今年もそろそろチョコのデザインを作らなければいけない。毎年、苦労するところだ。わあ、この絵、面白いなあと思っても、描いた子どものこととか良くわからないと使えない。「描いた子どものことを教えてください」という問い合わせが殺到するからだ。去年のサブリーンの絵は素敵だった。しかし、サブリーンはもういない。「死んでしまいました」という話は、確かに涙を誘う。感動的である。でもイラクの癌と闘う子ども達にとっては、「自分も死んでしまうんだ」というネガティブなメッセージにしかならないのではないか。

絵を描いてくれた子ども達が死んでいくのは本当に辛いので、今回は、「絵を描いてくれた子ども達はみんな元気で頑張っています」というストーリーにしたい。

5月、イラクのアルビルに行ったときに、白血病患者の一人、6歳の女の子アーシアちゃんの家を訪問させてもらった。彼女はクルド人で、もともとキルクークという場所にすんでいた。ここは油田があるために、現在、クルド自治区にするのか、イラク中央政府の管轄にするのかもめている場所だ。サダム政権の時に、町の人口の大半をアラブ人にしようという理由で、クルド人が追い出された。お父さんの話によると、脅されたりしたわけではなく、きちんとお金をもらって立ち退いたという。クルド人にしては、珍しくサダム・フセインのことを悪く言わなかった。彼は魚屋をやっている。といっても貧しくて、店を持てるわけではなく、リヤカーに魚を並べて、路上で販売するのだ。最近は、三輪バイクを手に入れた。背の低い、この親父を僕はとても気に入っていて、「魚屋のおっさん」と呼んでいた。

アーシアちゃんがどれくらい絵を描けるのか楽しみで、僕は絵の具を買って持って行った。お兄さんのウサマ君と一緒に大喜びで絵を描きだしたが、筆を洗おうとしても、絵の具が固まってしまう。よく見ると僕が買ったのは、油絵の具だった。まさか、こんなところで油絵の具を売っているとは想像もしなかった。油絵の具がなかなか乾かず、風が吹いて、紙が飛ばされ、絵の具が絨毯につく。それを踏むアーシア。大変なことになってしまった。

二人が描いた絵は、ひまわりや、カタツムリ、そして僕がリクエストしたのが、魚の絵。それらが、油絵の具を使ったためにとっても力強いタッチになったのである。

7月、アルビルでバグダッドやバスラから癌を克服した子ども達を呼んで、泊り込みのワークショップを行った。今度は、油絵の具のかわりにアクリル絵の具を日本から買ってもって行った。どんなマチエールが出来るか楽しみである。一番参加して欲しかったのが、アーシアちゃんだった。しかし、前の日から鼻血が止まらなくなり、とても、絵の描ける状態じゃなくなった。そして、僕が帰国してまもなく、脳出血でなくなったと聞いた。

ワークショップに参加してくれた子ども達の絵を使ってチョコレートのパッケージのデザインをし終えたが、何か物足りないのだ。ワークショップはとてもよかった。でも集まった絵は、アーシアのような力図よい何かがたりない。昨年のサブリーンの絵にあるような、何かが抜けている。

「絵を描いた子ども達は、元気で頑張っています」というストーリーは崩れた。アーシアの絵しかない。アーシアは死んだけど、絵は生きている。そして、お兄さんのウサマの絵も使った。パソコンでデザインする。画用紙に乾く前についた汚れた油絵の具をパソコンで消していきながら、僕は改めて、命の重みを感じた。

来年のチョコもすごい。