区民盆栽の会・定例会議

植松眞人

 都内に一つだけ残った都電の終着駅の目の前に喫茶店がある。窓際の席に座ると、ホームが窓いっぱいに広がっている。小さくブレーキがかけられる音が店内にも響いてきて、窓際の席に陣取っていた老人たちが一斉に、窓の外を見る。何人もの乗客たちが降りてきて、その中に南条がいる。
 南条を見つけた斉藤は、思わず声をあげる。
「南条くんだ」
 すると、他の老人たちも次々に声をあげる。
「あ、ほんとだ。若手だ」
「若手がいちばん遅いよ」
「走ってるよ。そんなに急ぐことはないんだ」
 などと、笑いながら言い合っている。南条はこの集まりでは最年少の六十九歳。若手と言っても、私も来年七十ですよ、というのが今年の誕生月である四月を過ぎてからの定型の挨拶になっている。それを面白がって、みんなが若手若手と呼ぶようになった。
 喫茶店のドアを開けて、南条が駆け込んできた。先に集まっていた五人の老人たちが席を詰めて、南条が座る場所をつくる。
「若手の登場だ」
 会長の佐竹が声をかける。
「若手、ここだ、ここ」
 会長の向かいの席で最古参の衣笠が言う。
「おはようございます」
 南条が汗をハンカチで拭きながら、席につく。
「若手のくせに、重役出勤かい」
「すみません。出がけに仕事の電話とかいろいろあって」
 南条が言うと、斉藤がコーヒーを飲みながら笑う。
「なんだよ。若手の仕事自慢かよ。どうせ、オレたちは隠居してて暇ですよ」
 自虐的に言って、笑う斉藤に、南条は深呼吸をするふりをしながらため息をつく。
「仕事じゃないですよ。孫からの誕生日プレゼントの催促ですよ。それに、若手と言っても」
「来年は七十なんだろ」
 会長の佐竹が笑いながら答える。
「南条くんとこ、孫がいたのか」
「うちは子どもが早かったもんで、孫も早くて、もう幼稚園の年中なんです」
「幸せだなあ。うちの娘なんて、四十でまだ家にいるよ」
 南条は、佐竹の話に肩をすくめながら、ショルダーバックからA4サイズの書類を取り出し、一部ずつ五人に配る。
 表紙には「区民盆栽の会・定例会議」と書いてあり、副題として「春の品評会の振り返りと夏の品評会に向けて」とある。
 南条が表紙をめくって、内容を読み上げようとするのだが、もう会長の佐竹が一枚一枚勝手にうなずきながらページをめくっている。数枚しかない書類はあっという間に終わる。それを見て、南条は書類を読み上げるのを諦める。斉藤も衣笠も同様に読み進めていて、同席している高橋と鈴木は書類を眺めているだけで、きちんと読んでいる気配はない。その様子を見ていた佐竹がふいに高橋に声をかける。
「高橋さん、あんたが出してた松」
 突然の声に、高橋が驚く。
「松?」
「うん、松。あれ、こないだの品評会で買いたいって言ってた人がいたよね」
「いたいた。あれ、商店街の前の会長でしょ」
 隣に座っていた鈴木の方が答える。
「ああ、あの話ね。あんなのまとまんないよ。それに、あの人にはオレは絶対売らない」
「なんでよ」
「いやなんだよ、あの人。前にさ、オレが大事にしてたのがあったじゃない」
「ああ、あれも松だった」
「そう、松。小さいけどさ、いい奴だったんだよ。それをさ、買いたいって言うから、売ったのさ。こっちも、認めてもらえるのは嬉しいからさ。それに、あいつ金は持ってるからね。ちゃんと前金で払ってくれてさ」
「じゃあ、いいじゃねえか。嫌わなくても」
「それがさ、オレがてめえで持っていってやったんだよ。わざわざ、あいつのボロ屋敷まで」
 ボロ屋敷という言葉に南条がコーヒーを吹き出しそうになっている。
「そしたら、あいつ、ゴルフのパターの練習してんだよ。庭の隅っこで。下手なくせに。で、ちゃんと盆栽のこともオレのことも見ねえで、その辺に置いといてくれ、なんて抜かしやがって。ゴルフなんて一旦やめて、ちゃんと受け取れっていうんだよ」
 最古参の衣笠が笑う。
「そういう奴なんだよ、あいつは。オレは同級なんだけどさ。ガキの頃からそういう奴。なんか気に入らねえ雰囲気出しやがるんだ」
「だろ!しかも、パターの練習を盆栽の置いてあるとこでやるなんざ、オレからすれば盆栽好きの風上にも置けねえわけよ」
「で、どうしたんだよ」
 会長の佐竹が聞く。
「いやまあ、置いてきたけどさ」
「置いてくるなよ。おめえなんざに売らねえって、持って帰りゃよかったんだ」
「ま、その晩に酒の約束もあったから、ちょっと金がね」
 高橋が照れながら言うと、みんなが大笑いする。
 笑いが収まったあたりで、最年少の南条が少し改まった声で切り出す。
「宴もたけなわですが、少しお願いが…」
 そう言って、南条が正面に座っている斎藤の方に向き直る。
「去年の終わりに田所さんが亡くなって、副会長が空いたままなんです。それで、私としては斎藤さんにお願い出来ないかと」
 斎藤が驚いた顔をする。
「えっ、オレ? 無理だよ。パソコンできないもん」
「いや、パソコンは必要ないんで。あったら、私がチャチャっとやるんで」
「だけどさ、メールでみんなに連絡とったりしなきゃいけないじゃない」
「あれは、去年からLINEに変わったじゃないですか」
「えっ、LINE」
「そうだよ、LINEだよ」
 斎藤がLINEに切り替わったことを知らなかったことで、みんなが驚いている。
「斎藤さん、私がLINEの設定とか、登録とかやってあげたじゃない」
 鈴木に言われて、斎藤が怪訝な表情でスマホを取り出す。斎藤のスマホの画面を正面からのぞき込んでいる南条。そこには、LINEの緑色のアイコンがちゃんと光っている。
「LINEのマークがあるでしょ。そこに小さな数字が59って書いてあるじゃないですか。それ、去年からのメッセージが59個たまってますよって意味ですよ」
 斎藤が呆れている。
「そんなこと言われても、字が小さくてわかんないよ」
 会長の佐竹が南条に目配せしながら、斎藤に話しかける。
「なんか、LINEで話しかけても、斎藤さんだけ返事しないと思ってたんだよ」
 斎藤は佐竹には答えずスマホの画面を見ながら、なるほど、そうかそうか、と独りごちている。
「じゃあ、あんた、なんで今日会合があることを知ったんだよ」
 すると、斎藤の代わりに高橋が答える。
「あれだよ、昨日、商店街でばったり斎藤さんに会ったんだよね」
 斎藤も嬉しそうに加わる。
「そうそう。酒のアテがないってかみさんに言われてさ。買いに出たら、高橋さんに会っちゃって。明日、来るんでしょっていうから、明日は空いてるからいいよなんて言ってさ」
 佐竹が呆れた顔をしている。
「斎藤さん…」
 佐竹に声をかけられても、斎藤はまだ笑いながら昨日の話をしている。
「斎藤さん」
 少し、緊張感のある声で佐竹が言う。
 斎藤と高橋が口を閉じて、佐竹を見る。
「斎藤さん、ちゃんとしなきゃだめだよ。ほら、LINEに変えましょうって話も、前の会合のときにして、あんたも賛成してたんだから」
 斎藤さんが少し椅子に座り直す。
「いや、ほんと、申し訳ない。家族とか、みんな電話で話してばかりなんで…」
「まあ、これからはちゃんと見てよね。ほんとに」
 斎藤が少し拗ねた表情で下を向いて、コーヒーカップを引き寄せる。
「もし、次わかんなきゃ、オレが教えるから。ね、ね」
 高橋が見かねて言う。斎藤はうなずきながら苦笑いをしている。
 南条が空気を変えようと、小さく咳払いをする。
「じゃ、みなさん。とりあえず、最後のページを見てもらえますか。これが前回の品評会の収支です。会費を貯めていた分から、会場費を引いて、残りが三万二千百五十一円。これはそのまま繰り越しておきますね」
 みんなが手元の用紙をめくる。そして、数字を追いながら、南条の言葉にうなずいている。
 一通りの説明が済むと、南条が、報告はだいたい以上ですね、と用紙をバッグにしまう。それをきっかけに、みんなも同じように用紙をバッグに入れたり、折りたたんでポケットに入れたりしながら、片付け始める。
 南条がみんなの手が落ち着いた頃合いを見計らって話し出す。
「みなさん、次の品評会が秋になるので、それまで元気で盆栽を楽しみましょう。では、会長の佐竹さんから一言しめてもらいます」
 言われて、佐竹が苦笑する。
「そこまで仕切れるんだから、若手が会長やってくれねえか」
「どこの盆栽の会で、最年少が会長やってるんですか」
 そう言われて、佐竹が少し身仕舞いを正す。
「今日もよく集まってくれました。区民盆栽の会がこの区に出来たのが昭和五十三年だそうです。四十年以上前ですね。都内のあちこちに盆栽の会はありますが、ちゃんと区が補助してくれているところは、三つくらいしかなくて、そのなかでもうちが一番古くて、一番大きいらしいです」
 ここで、佐竹はポケットから手帳を取り出し、自分で書いたメモ書きを探している。
「えっと、いまうちの会員数は三十二人。男性が二十五人。女性が七人です」
 そこで、衣笠が口を挟む。
「まあ、女性七人は元々旦那が会員で、旦那が亡くなって名前だけ残してるみたいな感じだけどね。オレたちで亡くなった旦那の盆栽を預かったりしてるから」
 すると、最年長の衣笠が声をあげる。
「そう言えば、去年、若いお姉ちゃんが二人ほど入会したんじゃなかったっけ」
「もう、退会しましたよ、きぬさん」
「え、もう?」
 佐竹が呆れた顔をしている。
「去年の秋の品評会の会場で、入会したいって二人がやってきたとき、あんたなんて言ったよ。こんな若いお姉ちゃん、久しぶりだなあ。良かった良かった、オレになんかあったら介護してよ、なんて言っただろ」
「そんなこと言ったっけ」
「言ったよ。おかげで、その日の夜、やっぱり辞めますって、電話があったんだよ」
 そう言われて、衣笠はしょんぼりしている。
「ということで、若い女性会員が次にやってきたら、若手がちゃんと対応して、オレたちはみんな口にチャックだからな」
 佐竹が半ば本気で言う。
 鈴木が急に思い出したように、
「あ、そうだ。去年の終わりに亡くなった田所さんの盆栽も預かってあげたほうがいいんじゃないの」
 と、心配そうな顔をする。
 会長の佐竹が、小さく頷く。
「そうなんだよ。その辺もちょっと心配なんで、明日にでも田所さんのとこに挨拶に行ってくるよ」
 神妙な顔をして聞いていた会員たちが、お願いします、と頭をさげる。
「そう言えば」
 今度は、南条が口を挟む。
「そう言えば、斎藤さんは、田所さんと仲が良かったですよね」
「うん。幼なじみなんだ。小中と同じ学校でさ。高校は別のとこに行ったんだけど、それでもたまに遊んでたなあ」
 斎藤が窓の外を見る。ちょうど、都電がホームに到着して、たくさんの人が降りてくるところだ。小学生の男の子が数人かたまりで降りてきて、ふざけ合っている。その後ろから降りてきた中年の男に叱られて、男の子たちは謝っている。しかし、中年の男が通り過ぎて行くと、男の子たちは、男の背中に舌を出したり、鼻の下を伸ばしたりして、ふざけた顔を見せる。斎藤はそんな男の子たちの顔を見て、笑う。
 南条は笑っている斎藤を見ながら、立ち上がる。みんなも南条につられて立ち上がる。
「では、一番若手の南条も頑張りますので、みなさんも元気で頑張りましょう」
 そういうと、みんなが口々に、頑張りましょう、と声を出す。
「あ、それから、斎藤さん。副会長の件、よろしくお願いしますね」
 南条が軽い調子で言うと、斎藤はさっき男の子たちを見て、笑ったままの笑顔で、
「うん、わかりました。頑張るよ」
 と答え、区民盆栽の会の役員たちは喫茶店を出て、それぞれの帰路につくのだった。(了)