富士と龍

植松眞人

 立花秀一が東京に移り住んで、もう二十年近くが過ぎた。住めば都と言うが、東京という町は秀一にとって決して住みよい町ではなかった。
 人混みが苦手、賑やかな場所が嫌い、と言い出せばきりがないほどだし、最近は歳のせいか気が短くなり、電車で妊婦に席をゆずらない女子高生を見かけてしまうと、怒鳴りつけずにはおられない。しかし、実際にそんなことをしてしまうと、妊婦さんに喜ばれることもなく、ただただ驚かれ、なんならおなかの子ども障ります、という顔をされてしまうのである。
 とかくこの世は住みにくい、ということを東京という町は秀一にこれでもかと見せつけながら二十年近く過ぎたのである。
 それでも、これだけ東京にいれば、少しは慣れというものがあり、妻や子はすっかり生まれも育ちも東京のような顔をして、大阪弁でテレビに突っ込みを入れていたりする。秀一だって同じようなものだ。慣れない慣れない、と言いながら、東京の銭湯の四十五度を越えるような異様な熱さの湯舟に平気で入り、極楽極楽とつぶやいて、風呂上がりにそばをすすったりするのである。

   ■

 さて、銭湯である。
 秀一は月に何度か銭湯へ行く。だいたいは土曜日。仕事のない土曜日の午前中にゆっくりと起き出すと、もう妻はいない。仕事仲間と買い物に出かけたり、食事に出かけたりしているのだ。大学生の娘になると土曜日に限らず、ほとんど顔を合わすこともなくなっている。大学での勉強とサークル活動。その他にも友人関係や彼氏関係で忙しいらしい。一週間ほど前に珍しく一緒に朝食を食べながら「とうさん、久しぶりだね」と同じ屋根の下に暮らしているとは思えない会話を交わしたばかりだ。
 土曜の朝、妻がごそごそと起き出す時間に目が覚めていることもあるが、知らぬふりをして二度寝する。眠たくはなくても寝る。そして、妻が出かけた頃に、顔も洗わず、朝飯も食べずに下着だけを着替えて、タオルも持たずに歩いて五分ほどの銭湯へ行く。着替えてから家を出れば、新しい下着を持って行く必要も、着古した下着を持ち帰る手間もかからない。タオルや石けんも百円で貸してくれる。
 いつもは、三十分くらい銭湯にいる。髪を洗い、身体を丹念に洗っても五分ほどだ。そから、東京の熱い湯に身体をつける。何度入っても、何年通っても熱いものは熱い。正直、隣で平気な顔をして入っている年寄りを見ると死んでしまわないかと心配になる。
 しかし、熱いからと言って、水で埋めたりすると年寄りが黙っていない。やれ、ぬるくなるだの、熱いからいいんだの、うるさい。この間などは、さすがに四十七度はないだろうと、水を注いでいたら、
「久しぶりに良い湯加減なんだ、ぬるくしないでくれ」と言われ、
「お前さん、日本人じゃないね。中国人はすぐ湯を薄めやがる」と言われたので、
「いや、日本人です。というか、元関西人です」と笑いながら答えると、
「関西人てえのは、根性がないんだな」と神経を逆なでされる。
 そんなやりとりがあってから、秀一はどんなことがあっても、湯を薄めなくなった。誰かが水を入れていても応援こそすれ嫌な顔一つしないのだが、自分ではどんな熱い湯にもそのまま入る。入ったら入ったで、熱湯のような風呂にもそれなりの良さがあるのだということには気がつくのだ。
 熱い湯がいいのは気付けになることだ。ぼんやりとしていた寝ぼけた頭がすっきりする。土曜日の遅い朝、休日をすっきり過ごすために俺は銭湯に来ているのかもしれないと秀一は思うのだった。そして、いったん熱い湯で目を覚まし、入り口の待合に置いてある最先端のマッサージチェアに座って、一週間の疲れをもみほぐすために、ここに来ているのだと言っても過言ではなかった。
 それに、東京の下町の「湯を埋めるんじゃねえ」とすごむ、それでいて脱衣場に出ると急によぼよぼの気弱になるジイさんたちが嫌いではなかった。彼らが威勢良く、最近亡くなったばかりの友だちの話をしみじみしている様子は、いつ見ても笑いと涙を同時に誘う。

    ■

 そんな銭湯にも何ヶ月かに一度、誰も先客がいない、という日がある。開店から三十分ほど経っているのに先客がいない。そして、それから三十分ほどして、秀一が上がろうと思う頃になっても誰もいない。脱衣場を見ても誰もいない。そんな日が何ヶ月かに一度あるのだった。
 しかし、今日はいつもの「誰もいない日」とは少し趣が違った。男湯には誰もいないのだが、女湯が騒がしいのだ。近所の者同士が、近所の者の近況を伝え合っている。商店街のあの店が閉店したのは、主人の浮気が原因だとか、東京マラソンのコースがこの近くに変更になったのが不安で仕方がないとか。そんな他愛もない話が続き、笑い声が響き、それじゃお先に、という声が聞こえてくる。
 秀一は、いつも通り、これ以上浸かっているとのぼせてしまうかもしれない、という頃合いで湯舟を出た。のれんをくぐるとコーヒー牛乳を買い、お釣りで小銭を作り、マッサージチェアに腰掛ける。ここから十五分ほどが秀一の至福の時間だ。
 全身コースを選び、スイッチを押し、身体をゆだねた、その瞬間に、さっき女湯の天井の方から「それじゃお先に」と言った声がすぐそばから聞こえた。
「ねえねえ。あれ、注意した方がいいわよ」
秀一は身体を少しだけ起こして、首をひねって受付の方を見る。料金などを受け取る受付にはこの銭湯の親父さんか奥さん、最近はごくたまに息子が座っている。今日は親父さんだ。
「注意ですか?」
 親父が返事をしたので、おばさんの声が一段高くなる。
「そうよ。あれはね、だめよ。だって、背中に墨が入ってるのよ」
 親父がちょっと苦笑しながら答える。
「ああ、タトゥーですか」
 すると、おばさんが勢い込む。
「タトゥーなんてもんじゃないわよ! あれはね、もうね入れ墨よ。だって、背中一面に龍の入れ墨、あれなんていうのかなあ。昇り龍っていうのかしら。あれなのよ。こわいわよ。タトゥーなんて生やさしいもんじゃないの。もんもんね。昔で言うところの」
 親父は、一瞬、女湯ののれんの方を見る。顔はまだ苦笑したままだ。おばさんは何を笑っているのかと少し憮然としている。
「うち、禁止してないんですよ。昔からのお客さんが多いんで」
 そう言われて呆然とするおばさん。
「え、禁止じゃないの?」
「ほら、あっちの筋の人が多いじゃないですか。このあたり。でもまあ、昔から騒ぎがあったってこともないし。スーパー銭湯とかは禁止にしてますけどね。うちは、まあ良いんじゃないかって」
 おばさん、そう言われて、あげた拳の下ろす場所が見つからない。秀一はそんなおばさんを視野の端に捉えながらことの成り行きを見守っている。
「でもね、怖いわよ。女の子でね、大人しそうに見えて、服を脱いだら背中一面がドラゴンなんて、あなた見たらすくむわよ」
 いくら言われても禁止してないものをいまさら禁止にするわけにもいかず、それでも常連の声をむげに却下するわけにもいかない。
 秀一はいま女湯にいるはずの、背中一面に昇り龍が彫られた若い女の背中を想像した。壁に描かれた鮮やかな青空を背景にした富士山があり、その手前の大きな湯舟の中に若い女が肩まで浸かっている。湯あたりしそうになったのか、女が上気した顔でほんの少し苦悶の表情を浮かべて腰を浮かす。そして、その腰をそのまま湯舟の縁に移動させて、女は背中をこちらに向けて湯舟の縁に腰掛けた形になる。すると、女の背中一面の昇り龍が秀一の眼前に大きく迫ってくるのだ。昇り龍はいわゆる和彫りで細かな意匠と細かな色彩で描き込まれていた。頭を右に傾けながら、龍は空へと登っている。背景にある富士山の絵と一体となって、龍そのものが大きく秀一には見えた。龍の伸びやかな筆致がそのまま長い髭へと流れ、胴体に継承され、そのままくねくねとした尻尾へと続く。尻尾は曲がりくねりながら大地へと伸びていくわけだが、女の背中というカンバスからはみ出して、龍の尻尾は、形のいい女の尻の割れ目へと吸い込まれていく。龍の尻尾が男性器のように、女の性器へと分け入っているところを秀一は想像した。女の背中に描かれた龍が女の身体の中に入り込み、その龍が女を身体の中から操っているように秀一には思えたのだ。
「だからね、怖いのよ」
 おばさんの声で秀一の意識は再び、銭湯の入り口へと移る。銭湯の親父はいかにもよくわかる、という顔をしながらおばさんの話を聞いている。
 その時、はらりと女湯ののれんがゆれた。出てきた女は三十を少し過ぎたあたりか。ジーンズに白いシャツという地味な格好だ。色白ではあるが一重まぶたではっきりしているとは言えない目鼻である。秀一にはとても大人しく見えた。
 しかし、この女が出てきた瞬間におばさんは黙り込んだ。おそらく、背中に昇り龍の入れ墨があるというのはこの女なのだろう。この白いシャツを脱がせれば背中に昇り龍があるのかと秀一は思う。地味な顔立ちの女をマッサージチェアから眺めている。
 秀一はおばさん越しに女が入り口の引き戸を開けて、下駄箱に向かって行くのを見ている。おばさんは受付の親父さんと他愛のない天候の話などをしている。秀一はおばさん越しに女を見ている。女は下駄箱からスニーカーを出すと足を通す。かかとがうまく収まらず、女は身体を曲げ、かかとに指をかける。その時だった。女が身体を曲げたまま秀一を見たのである。
 秀一と女の視線はまっすぐに結びついた。そして、女は秀一のほうを見つめたまま、にこりと微笑んだ。その微笑んだ顔が、秀一にはさっき思い浮かべた龍の顔に似ているように思えた。(了)