女が泣いている。バス停の道路を挟んで向こう側。二人がけのベンチが置いてあるだけの小さな公園で、女が泣いている。若くはない。老けてもない。自分でまだ若いと言い張れば通りそうだけれど、たぶん若くはない。そんな女が泣いている。人の良さそうな女には見えない。悪い奴でもなさそうだけれど、良い人には見えない。悪いことはやらない気はするが、人の悪口くらいは言うだろうし、嫉妬深い感じはする。どうしてそう思うのかと、バスを待ちながらじっと見ていると、口元が歪んでいるからだと気付いた。
泣いているけれど、きっと自分に都合の悪いことが起きたのだろう。それでも、初対面の男にばれないくらいには、都合のいい言葉を巧く並べそうな気がする。泣いている顔の涙を軽く握った手の甲ではなく、手のひらのふっくらとした部分で拭う様子がわざとらしい。こういうタイプの女は都合の悪いことを聞かれたら、見事なくらい自然に泣き声を大きくして、質問を諦めさせるくらいのことは朝飯前である。それから、涙が本当に出ているかどうか、ときどき確かめながら、相手が諦めるのを待ち、諦めかけたと悟ったら、よろよろと立ち上がり、誰かが手を貸してくれるのを待つのだろう。もちろん、誰かが手を貸すはずだ。だって、女は誰かが手を貸すまで、ずっとよろよろしたままでそこにいるのだから。
バスが来た。女の目がバスを追う。私はバスに乗り込む。後部の窓際の座席に座ると、ベンチに座っている女を道路越しに見下ろす形になる。女はまだ泣いている。バスが走り出す。女は立ち上がる。バスが遠ざかる。女はまたベンチに座り、次のバスを待つ。