貧乏左翼

植松眞人

 もう十年近く前になるのだろうか。
 東京の日比谷公会堂で歌手あがた森魚のコンサートが開かれた。それほど多くのヒット曲を持つわけではないが、七十年代フォークを語るとき、なくてはならない人ではあるし、彼がリリースしてきたアルバムは、コンセプトアルバムとしてとても優れていて評価が高い。だからこそ、アルバムは毎年のように発表されているし、狭いとはいえライブ会場はファンで一杯になる。
 ましてや、この日はあがた森魚の歌手生活四十周年を記念するコンサートで、ムーンライダーズの面々や矢野誠らが参加してにぎやかに新しい曲やら懐かしい曲やらを演奏しつつ進行していた。
 あの当時、あがた森魚は六十代の後半で、コンサートの観客もほとんどが彼と同年代か、そこから前後五歳程度といった感じだった。つまり、平均年齢が六十代半ばくらい。そんな男女が集まり歴史と趣のある日比谷公会堂に詰めかけ、舞台上の実力ある、いまでは少し埋もれた感のあるあがた森魚をじっと見つめ、時には手拍子し、それぞれに微笑みを浮かべながらコンサートを楽しんでいるのだった。
 そんな中にいて、私は前の席に座っている、おそらく私よりもほんの少し年上の女性の背中を見ていた。あがた森魚の歌う『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』という大好きな曲を聴きながら、その人が着ていたセーターの背中に着いた毛玉を見ていた。おそらく上質のカシミアで作られたえんじ色のセーターは、大事に丁寧に着られているのだろう。全体が少し毛羽立ち、所々に小さな毛玉があった。しかし、それが不快な感じを与えるのではなく、逆にいいものを大切に着ているという印象を与えるのだった。
 私の前に座っているおそらくあがた森魚のファンであるその女性に好感を抱きつつ、彼女の背中を真ん中に置きながら左右に目を走らせる。あがた森魚の歌が次の曲に移り、少しアップテンポとなり、カシミアのセーターの女性の隣にいた男性のネルのシャツが揺れる。じっと見ると、このネルのシャツも長らく着込まれているのだろう。小さな毛玉が肩から脇へと続く縫い目のあたりにいくつか出ている。こちらも、それほど安くはない良質の素材が使われているのだろう。年季が入り少しは色あせているのだろうが、生地がよれたりしているわけではない。カシミアのセーターとネルのシャツは時々肩の辺りで触れあったりしているので、彼等は一緒にやってきた夫婦なのかもしれない。
 この夫婦から目を左右に移しても、おろしたての色鮮やかなシャツを着ている者はなく、みんながそれぞれに大切に着てきた衣類を身につけているように見える。それはあがた森魚という歌手を聞き続けてきた人たちにふさわしいあり方のように思えて、私は心の中でなるほど、と呟いてしまう。もちろん、そんなふうに思うのはこじつけかもしれないし、この日の日比谷公会堂をくまなく探せば、真新しいシャツに袖を通してきた人もいるだろうし、物事を丁寧に暮らしている人ばかりでもないはずなのだが、そう思わせてしまうカシミアとネルとあがた森魚なのだった。
 そして、このコンサートにくるような人たちが穏やかな人たちばかりではないことを私は知っている。反戦フォークに惹かれ、いつまでもその世界を楽しめるのは、やはりどこか左翼的だ。金を稼げる左翼は、どこかのタイミングでうまく保守中道か若干右側に生きる路線を変えている。そして、真性の左翼は日比谷公会堂であがた森魚を穏やかな笑顔で聞くなんて真似はしない。かつての左がかった思想の持ち主が資本主義に上手く乗ることもできず、かといって共産思想よろしくみんなで手を取り合った仲良く稼ぐこともできず、それぞれに自分の利益だけは確保しながら、守銭奴ではないふりをしている間に、貧乏左翼になってしまったのだ。
 この日、歴史と趣にあふれた、少しかび臭い日比谷公会堂に集まったあがた森魚のファンである貧乏左翼たちは幸せだった。互いの少しずつ食い違う日本の歴史認識も、現政権に対する不満や鬱憤も、目の前のあがた森魚の楽曲が柔らかく解きほぐしてくれたし、真新しいファッションを競うような資本主義的な価値観ともこの空間は無縁だった。前や後ろにいる同じような年代の、同じようなそこそこの服を丁寧に着ている人たちは、いつも一緒に仕事をしているたいしてお金は持っていないけれど声をかければすぐに仕事を手伝ってくれる気の良いあの人やこの人に似ていて、初めて会ったのに気心が知れているようで気持ちが落ち着くのだった。
 彼らの仕事は最高の仕上がりを求めない。自分のできることと、それをサポートしてくれる人たちで、なんとか見栄えにするところに落ち着けば良い。だから、いつもどの仕事もどこか似ている。自分の仕事に自信がある。そして、それを認めてくれる人と組んで、世間一般のレベルにまでできればいい。そう考えているのだ。資本主義的な奴らが金に任せて、その時々の最高のものをと言うけれど、その時々最高のものを作ったところで、時が過ぎればそこそこのものとの差はあまりない。ただし、やはりその時々最高のものを目指す奴らが時代を変えるすき間を見つけ、そこにバールをねじ込んでこじ開けるのは確かなので、保守で右翼的な奴らが時代の改革者になるという皮肉。そう思うと、どこまで言っても左翼は右翼の後を追い、負け戦を知るとノスタルジーに逃げ込んでいる。
 そんな男女のすき間をあがた森魚の大寒町が流れてくる。

大寒町にロマンは沈む
星にのって銀河を渡ろう
かわいいあの娘と踊った場所は
今じゃあ 場末のビリヤード

 それを聞いて私は、ほらやっぱり、と身勝手に思い、会場の後ろのほうから同年代の男女を眺めながら、こいつら全員がいなくなっても大丈夫、と思ってしまう。こんな手軽なノスタルジーに逃げ込むなら、もうみんないなくなってもいいんだと思う。きっとこの会場の人たちが全員、この瞬間に神隠しにあったように消えてしまっても、誰も困らない。日本の経済にも流通にもなんの影響も与えない。そして、彼等が馬鹿の一つ覚えのようにしがみついている芸術や文化という面でも、多少さみしがる人はいるかも知れないけれど、きっと大きな損失はない。だって、もう終わってしまっているものだから。もう終わった人たちが終わった人たちどうしで、互いに必要な存在として成立しているのだから、同時に消えてしまえば、意外に潔くすっきりとするのかもしれない。
 しかし、そんな場末のビリヤードににも、ふらりと入ってくる新しい時代の若い娘がいて、そんな娘をだまそうとする貧乏左翼の爺さんがいて、ごくたまに場末のビリヤードが輝いて見えたりするからややこしい。