月を追いながら歩く(1)

植松眞人

 邦子はカフェの小さなテーブルの上に古い写真を並べていた。カラーの写真が五枚、モノクロの写真が二枚あった。
 七枚全部が見えるように広げると、テーブルの上は写真でいっぱいになった。そこへ店の女の子が頼んでいた飲みものを運んできたので、邦子は慌てて写真をひとつにまとめようとする。しかし、写真はそれぞれにテーブルにぴたりと張り付いたり、隣の写真と妙な具合に重なり合ったりしていて、うまく手に取ることができない。そんな様子を見ていた女の子は空いていた隣のテーブルにトレイを置くと、邦子と一緒に写真を集め始めた。客とは言え、他人の写真を無言で手に取る姿に違和感を持ったのだが、自分も慌てていたせいか、邦子は「ありがとう」と声をかけた。
「素敵ですね」
 女の子は遠慮することなく手にした写真をじっと見つめながら言う。
「素敵かなあ……」
 邦子はテーブルの上に置かれたままになっている他の写真を見ながら、自分の素直な気持ちを口にした。
「素敵ですよ」
 そう答える女の子の声はしっかりと力強く、それが意外で邦子は初めて、その顔をまじまじと見つめた。まだ十代に見える女の子は色白で短い髪が活発そうに見えた。この子に「素敵」だと言われたら、本当にこの写真が素敵なのかも知れない、と邦子は素直に思えた。
「でも、へんでしょ?」
「空と雲だけの写真って、なんだかすごくイメージがふくらんじゃって」
 女の子はそういうと、別の一枚に手を伸ばした。
 いまの十代の女の子にはこの雲ばかりが写っている写真が本当に素敵に見えているようだ。そう思い始めると、こんな写真を急に送ってきた母の行動になにか意味があるような気がしてくる。父が亡くなって三年。父が生前撮った写真はもっと他にもあるだろうに、よりによって空ばかり写っている写真をなぜ今頃送ってくるのか。邦子はぼんやりと写真に見入った。
「この白黒の写真は長野の空なんですね」
 と女の子に言われて邦子は怪訝な顔をする。
「長野?」
「ええ、写真の裏側に『長野にて』って書いてあります」
 邦子は女の子から写真を受け取ると、裏側に書いてある文字を確かめる。『長野にて』という文字はボールペンで書かれているのか、少しインクが滲んで、ぼんやりと太い文字になっていた。表には焼き付けられている日付は一九八〇年の八月だ。
 和歌山に生まれ育ち、大阪に働きに出て母と出会いってから二人はずっと関西を出たことがないはずだ。ということはこの写真は旅行をしたときの写真だろうか。
 邦子はそんなことを考えながら、長野の空らしき写真を見た。モノクロの写真なのに、撮影したとき空が真っ青だったことがわかる。そして、そこに真っ白な雲が入り込んでいる。夏の雲だ。真夏の長野の晴れ上がった空と真っ白な雲。それなのに、邦子はこれを撮影していた時の父が、とても悲しそうな顔をしていたように思えるのだった。
「どうかしましたか?」
「なんだか、とても晴れ渡った写真なのに、これを撮っていた父は寂しかったんだろうなって、そんな気がしたの」
 邦子は自分でも意外なほど、思ったことをそのまま口にしていた。きっと、この女の子の真っ直ぐな瞳が私をためらわさないのかもしれない。邦子はそう思った。
「お父さんが撮った写真なんですか」
「そうなの。一九八〇年っていったら、私がちょうど生まれた年。その時、なぜ父が長野にいたのかは知らないけど」
 邦子はそう言いながら、本当はなぜ父が長野にいたのか、知らないほうがいいんだろうな、という気がしていた。それなのに、きっと私はその理由を知ってしまうのだ、そう思うと、少し邦子は笑ってしまうのだった。

(続く)