繊細な女性

植松眞人

日曜日の朝っぱらからトイレットペーパーが切れている。まだ寝静まっている家族を待っていては大事に至るということで、財布をもって外に出てみると、しんとしているのはわが家だけ。世間様はすっかり目をさまして顔を洗ってひと仕事なさっている感じだ。

日曜の朝の神楽坂はスーパーの朝市が開かれていたり、パン屋さんが元気に挨拶をしていたりして、なかなかに活気がある。しかも、まだ観光客がうろうろしていない時間なので、同時に落ち着きもあったりする。

さて、感慨にふけっている場合ではない。トイレットペーパーだ。地下鉄の神楽坂方面から飯田橋方面へと坂道を下っていく。神楽坂上という交差点を渡ると、ドラッグストアの大手であるヒグチとセイジョーが真っ正面で向かい合っている。ちょうど、この向き合った二つの店が同時にシャッターを上げたところだ。よかった。ここまで来て待たされたら、えらいことになるところだった。

とりあえず、セイジョーの側にある歩道を歩いていたので、そのままセイジョーの店先にあったネピアと書かれたトイレットペーパー4ロール入りを手に掴む。いや、待て、と妙な予感がして、真向かいのヒグチの店先を見る。同じようにトイレットペーパーが積まれていて、大きく『168円』と書かれている。その圧倒的な存在感を放つ価格表示にうろたえつつ、手にしたネピアの値段を確認すると、そこには『298円』とある。同時に、かつて私を「ちんけな男」呼ばわりした妻の言葉が蘇る。中三の娘との会話の中で、嫁は確かにこう言ったのだ。
「トイレットペーパーは、やっぱりヒグチやなあ」と。

弾かれたように、車道を横切り、車にはねられそうになりながらもヒグチの店先に。そして、168円と書かれたトイレットペーパーをひっつかんでレジに並ぶ。並んでいる間にもさざ波のような震えが時折全身を襲う。残された時間はそう多くはない。それでも、落ち着きを取り戻そうと、何でもないふうを装って、トイレットペーパーのパッケージを見る。そこには大きく、カラフルな文字で、『ナイーブレディ』と書かれている。

ナイーブレディとは何だろう。繊細な女性なのか? 何故、トイレットペーパーに繊細な女性などという名前がついているのか? これではまるで女性向けの生理用品のようではないか。だいたい、トイレットペーパーを買うと、レジでは店の名前の入ったテープをチョロッと貼るだけで終了だ。つまり、私はここから自宅まで、ナイーブレディと書かれたトイレットペーパーをずっと世間様に晒しながら歩かなければいけないことになる。まるで、私自身がおっさんなのに「ナイーブレディーなんですよ」と喧伝しているかのようなおかしなことになる。いかん。これはいかん。どんな理由があろうとも、いくら大事が迫っていようとも、ナイーブレディを抱えて神楽坂を歩くなんて真似はできない。

私はナイーブレディと書かれたトイレットペーパーを手にしていることに耐えられなくなり、ヒグチからセイジョーへ引き返すが、やはり倍近い値段のネピアしかない。こうなったら二者択一だ。私自身がナイーブレディを名乗るか、ネピアを買って嫁に叱られるかだ。

思いあまって、立ち尽くしている間に、私には最後の時が迫っていた。身体の中で小さく音がして、歯止めが利かなくなるであろう予感がする。もう、迷っている時間すらないのだ。しかし、妻に屈するのも、ナイーブレディになることも受け入れがたい。

私は取り敢えず迫り来る危機を乗り越えるために、すべてを保留にして近くのスーパーのトイレに駆け込んだ。そして、事なきを得ると、ヒグチもセイジョーも放置して、そのまま喫茶店でコーヒーを飲んだ。

そうすると不思議なことに、「ナイーブレディになってもいいかもしれないな」という余裕が生まれたのだ。コーヒーを飲み干すと、私は軽い足取りでヒグチ薬局を目指すのであった。